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五十粒目『学荘①』

ワイ、大学に合格して、大阪で一人暮らしすることになったんやな。
親は、「大学の寮に入れたらいい」と希望していて、
応募の書類は送ったんやけど、審査で落ちて、寮には入れなかったんやな。

ワイはそのころ、繊細で多感な子やったもんで、
「寮、いややー」って思っていた。
まずなにより、お風呂が一緒っていうのが苦痛やったんや。
なんで他人と裸で一緒におらなあかんねんっていう。
風呂だけは、風呂だけは―。って思ってなよなー。

だから、寮に入れなくなったことにはホッとして、
それで、住む場所を決めなあかんってことで、
入学前に、母親と一緒に大阪に出てきて、
不動産屋さんを回ったんやな。

ワイ、
「風呂、トイレ付きの部屋がよい」
と、切に願っていたんや。
そこは譲れない戦いやなって、思っていたんやな。

でも、母親は、
「風呂つきなんて贅沢や、無駄や」
と思っているのがひしひしと伝わってくるんやな。

それで、不動産屋さんと話して、紹介された物件を、
何件か、見て回ったんやけども、
「風呂なし」が前提で、部屋探しをしているんやな。

台所、トイレ付き、風呂なし、のいい感じの部屋があって、

「ここがええやん、ええやん」

って、母親は、ここで決めよう、って、前のめりやったんやけど、
ワイからしてみたら、風呂がついてなかったら、全部一緒なわけやんか。
風呂なしの部屋に住んだが最後、銭湯に行って、見知らぬ人たちと一緒に、裸でからだを洗う、おちんちんを見られてしまう、必死に隠すのもカッコ悪い、という苦行が、罰ゲームが、決定なわけやんか。

それで、ワイは、
「ああ、そうですか。それでしたら。」
と覚悟を決めて、不動産屋さんに、こう言うたんや。

「いちばん家賃がやすいとこを見てみたいです」

それで、その不動産屋さんで、いちばん安い部屋だったのが、
「学荘」やったんや。

名まえからしてすごいやろ。
そのころ、もう平成や。
メゾンなんちゃらとか、コーポなんちゃらとか、
建物名はカタカナ混じりが主流やったのに、
「学荘」て。
昭和30年代やんか。
飾り気がなくて、すがすがしいわ。

「学荘」に行ってみると、
2階建ての安っぽい武骨な建物や。
各階に、部屋が三つずつ。
全部で6部屋。
部屋の広さは四畳半一間。
明り取り程度の小さな窓と、半畳の押し入れ。
トイレは共同で、各階に一つずつ。
一階の入り口のドアをあけたら、
ちいさな靴箱と土間、
上がったところに階段下のスペースがあって、
そこに、共同の流しとガスコンロ。
共同の小さな冷蔵庫が一つ。
共同のピンク電話ひとつ。

そんな物件やったー。
でも、なんかワイは、そこに住むって決めたんや。
母親は「ホントにここでええの?」ってちょっとひいてたわー。

家賃は1万八千円。共益費が3000円やったかな?
あ、あと外に、共同の洗濯機が置いてあった。

「学荘」の隣には、大家さん夫妻が住んでいる2階建ての家があって、
大家さんは商店街で時計屋さんを営んでおられたなー。

学荘に引っ越してきた日には、父がいっしょに部屋に来てくれたんやけど
小窓が一つの四畳半一間。
部屋に二人いると、圧迫感あるよなー。
「なんとも...牢屋みたいじゃのう」
といって、ふたりでわらったわー。

部屋の真ん中に、木のこたつ机を置いて、
(このこたつ机は結構ええやつやった)
ラックの上に小さなテレビを備え付けて、
押し入れにはお布団いれて、
ハンガーラックを組み立てて、
ポットと、炊飯器の位置決めて、
食糧にはカップ焼きそばが1ケース。
入居準備が完了や。

ワイは、なんだか気に入っていた。
いちばん安いとこ、というのもそうだし、
それを自分から望んで決めた、ということが、
なんだかたくましくなったような気がしたんや。
「風呂がないと絶対イヤやー」
といっていたちょっと前の自分=ひ弱な自分から、ひとつ、脱皮できた気がしたんやな。

それから父を見送って、
さて、一人暮らしの始まりや。
ワイは、わが「学荘」の同居人、
他の部屋の住人に、入居のあいさつをしに行かなあかん。
あのとき、なにをもっていったんかな?
山口名物の、御堀堂のういろうやったかな?

ちなみにワイの部屋は、一階の、玄関を入ってすぐそこ、
「3号室」や。
そして、ワイの隣の部屋、2号室は空き部屋やった。
あ、思いだしたけど、1階の1号室と、2階の4号室は、ちょっと部屋が広かったわ。

ワイはまずは、一回の端の部屋、1号室に出向いて、ドアをノックした。

(つづく)

2 件のコメント

  • 一人暮らしのスタート、どきどきやったねー♪今思えば、あの時ほら平田先生とこで初めて会った日からずっ〜と1人で何もかも頑張って生活してたんやなぁ〜って思うとホンマに尊敬します。わたしは一度も家出たこと無かったから親の有り難みや感謝の気持ちが薄いペラペラな人って感じがしたやろうなぁ〜って思います。出てない人皆んながちがうよ〜。わたしは甘えた人間やのうーってことよ。今も実家近いしミリ成長しとらんのー。あぁ、懐かしいなぁ。

  • 風呂付きの願いが叶えられないと知り、いちばん安い部屋でいいです‼️ってところに人間味があって共感できますな

    オタクとしては「〜荘」って憧れがあって、昭和チックでかわいいです

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