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八十八粒目『今日から散歩と言わない』

今日、ワイは、気づいてしまった。

「そうかああああ!!!!!」

と。
それで濱下先生はワイを小ばかにしよったんかああああ!!!!
と、気づいてしまった。

そのとき、時刻は夕刻やった。ワイは、山口市のゆめタウンの駐車場から、トコトコ歩いて、
椹野川の河原沿いの道を、トコトコ歩いていたのである。


そう、ワイは、これがほんとうに好きなのである。

これを、ワイは、今まで、一貫して、

「散歩」

という言葉で表現してきたのである。

しかああああああああし!!!!!

たとえばこういうことである。
ある人が、

「ぼくはたま遊びが好きなのです」

と言ったとしよう。
聞いたわれらは、
「ふーん」
と思うであろう。

しかし、その人が「たま遊び」といっていたことは、
実際には、野球であって、もしくはサッカーであって、
めちゃめちゃ高いレベルでやっているのだとしたら。

それは、「たま遊び」という言葉が、
ミス・チョイスだったのである。

たとえば、ドラムをたたく名人がいたとして、
趣味を聞かれて

「たいこをたたいてますねん」

といえば、ぷぷぷぷぷ~と笑われてしまうかもしれない。

ようするに、ワイは、いままで、

「散歩はいいなー。散歩は最高や―」

とか

「趣味は、散歩です」

とか

「散歩をしているときが至福でござる」

とか、言っていた時に、
みなさんの反応が、うっすーいものだったのは、
それは、たとえば、大谷翔平さんが、
「野球は最高です」というところを、

「たま遊びは最高です」

と言っているようなもので
「たま遊び」という不適切な言葉を使ってしまっていることで
やっていることの実態、そのすばらしさが
まったく伝わっていない可能性があるのである。

そうかあああああああ!!!!!!!

とワイは、納得してしまった。

というわけで、ワイが「散歩」といっていたものは、
「散歩」という名前で呼ぶべきものではなかった、
ということがわかったので、
新たな名前を付ける必要が出てきたのである。

さて、ワイがいままで「散歩」と言っていたことの本質とは何なのか。

それは、じつは、伝えられないのである。
というのは、それは、そのときだけ、その瞬間だけがすばらしいのであるから。
あとになって、そのよさを説明することは、ナンセンスなのである。

歩いていて、それは、なるべく、目新しい場所が望ましいのである。
その風景、空の色、ちらばる雲のかたち、そよぐ風、なびく草木、
すべての一瞬一瞬が、いま、ここにしかないのである。

その中を、ワイは気ままに、足を動かして、歩いて、移動していくのである。

刻々と変わりゆく風景、ひじょーに素晴らしい。
生きていることを感じるのである。

この先にも、この前にも、かつて一度も存在しなかった時間を、
そして今ここ以外には、どこにも存在しない景色のなかを、
ワイは歩いているのである。

そして、すれ違う人々、じいさんばあさん、制服の学生さん、ランニングするオッサン、
もしかしたら、一生に一度、今だけ、対面している人かもしれないのである。

もしくは、何年が前に、どこかで、言葉を交わしたことのある人なのかもしれない。

一期一会、を感じるのである。

そして、トンボが群れて飛んでいるわ、
頭上をカーカーカラスがないて過ぎてゆくは、
ネコやイヌにも出会うであろう、
川の水が段差を流れて立てている水音、
遠くの山々の稜線が美しいわ、
暮れてゆく西日の陽光のまぶしいことや、
もう、すべてが素晴らしく、すべてが美術なのである。

その中をワイはトコトコ気ままに歩いてゆくのである。

これを、わいは、不用意にも

「散歩」

なんて言っちゃったもんだから、
馬鹿にされてきたのである。

これは、ほんとうに、すばらしいものなのである。
なので、ワイは今日から、これを「散歩」とは言わない!

リアルな世界の景色を見物しながら自由に長時間歩き回るという
情緒あふれる趣味なのである。

ワイは小一時間考え、そして思った。

「リアル世界自由鑑賞漫遊」

ということにしてみようか。

「ぼくの趣味は、リアル世界自由鑑賞漫遊です」

といえば、みんな、

「お。おう。。。」

と感心してくれるだろうか。

うむ、いったん、暫定で、これにしよう。

そう、スマートフォンも、「小型携帯パソコン」、という名前なら、こんなに早く普及しなかった、という見解を聞いたことがある。
これを、「これは電話だ!」と強弁したから、「あ、これ、携帯電話か―。ケータイの高機能なやつなんや」とみんなが思って、実質は「小型携帯パソコン」なのだが、ケータイ電話を思わせるネーミングのおかげて、爆発的に広まった、という見解や。

そのように、「リアル世界自由鑑賞漫遊」という言葉を広めることで
この、旧呼び名「散歩」という、なかなかその魅力に気づかれにくかった趣味のすばらしさに、たくさんの人が気づくことになるであろう。

そして、50年後には、「クラシック音楽鑑賞」を趣味とする人の、30倍ぐらいの人が、
「リアル世界自由鑑賞漫遊」を趣味だと公言するようになっているはずである。

そのときウィキペディアに、この名称の考案者として、ワイの名前が載るのである。


2 件のコメント

  • ネーミングって大事ですね!私も自分の作る料理たちに、昼食とか晩御飯とかはやめて、何かグッとくる名前つけようかしら。

  • リアル世界自由鑑賞漫遊、、、

    長い!笑

    リ世自漫!

    スマホしんどいけどぼちぼちコメントして行くで〜

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