ワイ、ふたつとしうえに、おねえちゃんがおったんや。
「おった」って過去形でかいてしまったけど、今も、おるで。
これを書いているいま現在、ともに、この世に生きていますよ。
子どもの頃を回想して書いているから、過去形でかいてるだけやで。
あしからず。
それで、ワイ、あかちゃんでうまれて、ものごころついて、しゃべれるようになって、ようちえんにあがるまえまでは、
「けいこちゃん」って、なまえでよんでたんやな。
わい、ほかの幼児と同じく、「さしすせそ」がうまくいえなくてな、
けいこちゃんによく、
「しょ、じゃなくて、そ!」
って、おしえられてたんやけど、なかなかうまく、「そ」がいえなかったのおぼえてるなー。
それである日、「そ」がいえるようになったんや。
うれしかったなー。
いえた!いえた!そ!そ!
って、うれしくって、お母さんのところに走って行って、
「ねえねえ!そ!がいえるようになったよ!そ!そ!」
っていうんやけど、
「そう、よかったね」
ってテキトーにあしらわれて、非常に遺憾であったのを覚えてるわー。
まー、そのとき、おかあさんにはおかあさんの心配事でもあったんやろな―。
おとなもたいへんやな。
いちいち子どもの感動に付き合っていられないわなー。
さて、そんな風に、おねえちゃんは、おとうとのワイをかわいがってくれてはいたんやと思うんやな。
いや、毎日、泣かされていたような気もするな。
「ひろくんも、ようちえんにあがるのだから、『けいこちゃん』ではなくて、きょうから、『おねえちゃん』、とよびなさい」
って、お父さんに教えられたのを覚えている。
「おねえちゃん?おねえちゃん。おねえちゃん」
って、初めて、「おねえちゃん」、と呼んで、なんか気恥ずかしかったのを覚えているな―。
それからは、「けいこちゃん」呼びはしたことないよなー。
「おねえちゃん」「ねえちゃん」というてたなー。
まあ、こどものころの日記をみたら、
「きょう、けいこがわがままをはつどうして、、、」
となど書いてあったりはするけどなー。
それでな、おねえやんは、ワイより2年早く、小学校にはいるやろ。
小学校で、「あいうえお」を習うやろ。
それをぜんぶ、ようちえんの弟の、ワイに教え込んだんや。
ワイも素直やからやな、それに、こどもやで、ひまやし、やることないで、
おねえやんがおしえるままに、がようしに、クレパス持って、
字を覚えさせられるまま、覚えたがな。
ほんで、ようちえん児ながらに、よみかきできるようになって、
あ、そうや、「つ」の字の向きが、どっちが正しいのか、なかなか覚えられんかったけどやな。
おばあちゃんに、がようしに覚えたての字を書いて、みせたことがあったな。
ひこうきが落ちる絵をかいて、「ついらく」って書いて、見せたんや。
あ、「つ」の字は逆向きやったけどな。
「⊂いらく」って書いてたな。
おばあちゃんはそれをみて、
「ほう。ついらくじゃ。こりゃ、ついらくじゃ。」
といってくれたなー。
こどもって、めんどくさいよなー。
おばあちゃん、ありがとうなー。相手してくれて。
「これ、『つ』の字の向きが、反対じゃ」っておしえてくれたなー。
それで、わい、おねえちゃんの特訓のおかげで、4歳にしてよみかきできたから、
目についた読めそうな本は片っ端から読み始めたんやなー。
それで、
「ひろくんはほんがすきじゃ」
みたいなことになったんやな。
そんなにすきでもなかったんやけど、なんせ、よめるからやな。
よむがな。そら。なんでもよむ。
それで、ワイってほら、三兄弟やで、なんでもたいてい「おふる」やったんや。
三人目やし、あんまりお金かけていられない子やと思われるんやな。
なんか、「ぜいたくは敵だ」的な感じは、肌感でわかるやんか。
いちど、おばちゃんと、一緒におでかけしてな、
「ミニカーかってあげる」っていわれたんや。
「いらない」っていうたんや。
「大丈夫、大丈夫、買ってあげる」いわれたんやけど、
「いらない」いうたんや。
「おかあさんにおこられるとおもっちょるん?大丈夫、大丈夫、おばちゃんが買ってあげるって言うて買ってあげるんじゃから。お母さんになんか言われたら、ちゃんと言うちゃげるから」
っていわれてな、それで、しぶしぶ、かってもろうたんやな。
それは、それなりに、うれしかったと思うで。
それで、家で、そのミニカーで遊んでたら、帰ってきたおかあさんが、それを見つけるなり、
「なんかね!それは!どこから持ってきたの!」って、
烈火のごとく怒られたんやな。
「返してきなさい!」って。
ワイ、泣きながらミニカーを返しに行ったな―。
だからな、ワイ、なんかほしいって言ったことが、あんまり、ないと思うんやな。
「あれ買ってー」ということもないし、ほしくないって、遠慮する子やったと思うんや。
でもな、なんか、ワイ、ようちえんの年長ぐみになって、毎月、クラスで何人かだけ、
せんせいから、小さな絵本をもらう、そのうちの一人になってたんや。
「なんでワイ、絵本をもらえるんやろ?」って不思議やったんやけど、
いまかんがえたら、おかあさんかおとうさんが、
「この子は本が好きやから、本を与えてやろうかい」
とおもって、なんか、月に一冊配本される、「チャイルドなんちゃら」っていう、絵本の定期購読みたいなのを、申し込んでくれたんやろな―。
ワイ、たぶん、その絵本を毎月もらっていた、数人のガキどものなかで、いちばんその絵本を読んでいた自信がある。本当に、何回も、何回も、何回も、何回も、くりかえし、読んだわー。
その絵本のタイトルな、今も、何冊か記憶しているんやけど、今、インターネットで探しても、出てこないねんなー。
何冊か、ホンマに大好きな絵本があったんやけど、
そのなかでもとくに一つ、奇妙に好きやった絵本があるんや。
それは、「おいしいはな」っていう絵本でな、
自分でも、当時から、何がそんなにおもろいのかわからへんねんな。
でも、めちゃめちゃすきやねんな。
それはな、草原に、ヒョウがおるんや。
ヒョウやったかな?ヒョウと思う。ネコ科の動物や。
ヒョウは、ひとりで、草原で、おひるねしてるんやな。
そしたら、ふと目を開けたら、ふわふわと、ワタのような花が、飛んでるねんな。
ひょうは寝ぼけ眼でそれをみて、ん?とおもうんやけど、
パクッて、くうねんな。
そしたら、それが、おいしいねん。
で、ヒョウは、身を起して、まわりを見ると、
その、おいしい花が、どんどんどんどん、飛んでくるねんな。
それで、ヒョウは、パク、パク、と、飛んでいる花を食べるねん。
それが、おいしいねん。
みると、草原いっぱいに、その花が飛んでいるねんな。
ヒョウは、夢中になって、その花に飛びついて、
ぱく、ぱく、ぱく、ぱく、ぱく、ぱく、
たべにたべるねん。
おいしいはな。
夢中になって食べていると、その花は、いつの間にか、なくなっちゃうねんな。
おいしかったなー。
ヒョウは満足して、おいしい花やったなー、また食べたいなー。
また、その、おいしい花が、飛んでこないかなー、と思うねん
で、ある日、また、ワタのような花が飛んできて、
ヒョウは、あ、きたきた!おいしい花や!
と思って、パクって食べるけど、
むむ!ちがうねん!おいしくないねん。
ひょうは、あの、おいしい花を、思い出すねんな。
探して、草原をさまよったりするけれど、
二度と、あのおいしい花は、あらわれないねんな。
そんなお話やねんけど、ね、あんまりおもしろくないでしょう?
でも、そのほのぼのとした絵の世界で
おいしいはなが、ふわふわと、とんできて、
草原いっぱい、おいしい花が舞っていて、
おいしいはなをむちゅうになって、たべているのが、
なんとも言えない、しあわせなかんじやねんなー。
今もし読んだとしても、
あのときと同じように感じることはできないんやろな―。
てなわけで、ワイが、ようちえんのころから
本を手当たり次第に読んでいくということが
ワイの変わり者の気質、へんなひと属性に、ものすごい栄養を与えていったんやなー。
2 件のコメント
よく絵本や本を読む子どもだったのですね。4歳で読み書き出来るってすごい!けいこお姉さんの特訓、影響が大きかったんですね。
私は、自身の絵本の記憶はないけれど、息子が小さかった時は読み聞かせをよくしました。歌の歌詞の付いた絵本が好き過ぎて、触れたかったのか、勇気100%のページはビリビリに破けたあとがあります。何度も補修して使っていました。寝る前に色々な絵本を読むんですが、始めの頃は一冊で済んでいたんです。だんだん自我がぐんぐん芽生えてくると数冊選んでくるんです。眠たくなくなるんです。冴えきってしまう!かたや私は読み疲れて寝落ちしてしまうなんてことも。あぁ、懐かしい。ねないこだれだ?ぐるんぱのようちえん、いないいないばあ、とか好きだったな。
本は栄養よねー!私は音読が好きだなぁ。
画用紙に4歳児が「ついらく」は渋すぎるww
「そ」が言えた報告は可愛すぎますね🤦🏻♀️
3人目ともなるとお母様も(それもう2人目体験したわ)って感じなんでしょうね😂
あるある、強烈に記憶に残ってる絵本!
私は「ふゆのよるのおくりもの」って絵本が好きでした。ママが買ってくれたか、サンタさんに貰ったか忘れたけど、、、
あと「小公女セイラ」の絵本が好きだったけど、それに出てくる小猿が嫌いで嫌いでしょうがなかった!
私も例に漏れず、本が好きだと思われて様々な絵本を与えられたけど、親がとち狂って英語の絵本を何冊か与えられた時は子供ながらに親のことが意味わからんやった、、、
人のブログのコメント欄で語ってしまった、、、