ある晴れた午後のことである。
ぼくが道を歩いていたら
牛乳石鹸のような顔をしたおんなが歩いてきて、
すれ違いざまに、
「わたしは、たわしですか?」
と云った。
ぼくは、びっくりしてしまって、
いや、たわしではない。
と云おうとしたけれど、それは、云ってはいけないことのような気がした。
かといって、あなたの顔は牛乳石鹸のようです、というのも、
はじめて出会った人に対して、失礼なもの言いであろうと思われた。
それで、こう答えた。
「しるか、ぼけえ。」
そしたら、おんなは、びっくりした顔をして、
それから、しくしくと泣き出してしまった。
泣かれてみると、これはわるかった、という気がしてきて、
「おじょうさん、すみません、すみません。
けれど、あたなが、とつぜん聞いてくるものですから、
はて?このひとは、たわしではないようだが?と思いましたが、
どう答えたらよいものか、わかりませんでしょう?
それで、しるか!といったのです。
お気にさわったのなら、あやまります。」
おんなは、しくしくと道にしゃがみ込んで泣いていたが、
涙にぬれた顔をこちらにむけると、
「わたしは、たわしですか。」
とふたたび云った。
あっ、やべえやつなのか?
とぼくは思った。
逃げるか、たたかうか。
「わたしが、たわしだからといって、それは、いけないのでしょうか。」
悲しそうにこちらをみてそう云うおんなの泣き顔を見て、
ぼくは、はっ、と思って、
「あの、おじょうさんが、もし、そうだったとして、それはよいと思いますよ。
それを好まれる方も、少なからず、いらっしゃると、聞いておりますよ。
こう、神秘を感じるというか、美的な趣向と申しますか、魂に響くと申しましょうか、微妙なる、幽玄甘美なる、、、」
とつぜん、
ピーピピピー!!!
という警笛の鋭い音がして、
ごつい体つきの、警官の服を着た中年男が二人、ばたばたと靴音を響かせて現れて、
「うごくな!逮捕する!」
といっていきなりぼくの腕をつかんだ。
「いたたたた、なんですかっ!はなしてください!」
「貴様、公道で、けしからん、この狼藉者がっ!兄者、そっちの腕を!」
「がってんだ、手錠をかけてしまえ、弟よ!」
銀の手錠がきらりと光り、じゃらり、とぼくの手首にかけられようとしたまさにその瞬間、
「やめーーーーーーえええい!」
といって、牛乳石鹸のような顔をしたそのおんなが、両手を広げて叫んでいた。
水平にピシッと腕を伸ばしたそのすがたはまるで、美しい翼を広げて威を放つ野鳥のようであった。
そしたら、警官姿のふたりのごつい男は、
「ははっ!」
「ははあああーっ!」
と云って、恐れ入った、という体で、一目散に走っていってしまった。
ぼくは身動きできずにいたが、おんなは姿勢を正すと、ぼくの目の前に立って、ゆっくりした口調でこういった。
「さいきんの、にんげんは、スマートフォンや、AIの普及によって、ことばだけでイメージすることや、表現することが、少なくなって、動画であるとか、画像によって、表現し、想像し、意思疎通をしていますね。これは、なんとも、すばらしいことですね。」
そういって、わたしをまっすぐに見た。
「そうですね、まあ、どうなんでしょうねえ。」
とぼくは云った。
するとおんなは、2秒ほど、まじめな顔でじっとぼくを見ていたが、にっこりと笑って
「あなたはふるいのですねえ。でも、気にいりました。あなたは、お行きなさい。止まらずに、お行きなさい。もっと遠くへ、お行きなさい。水は止まれば澱み、腐ります。行った先で何があってもよいではありませんか。遠くのものを、見に行きなさい。行くのです。それが生きているということです。それがいのちであり、あなたなのですから。」
そうして、牛乳石鹸みたいな顔の女は
「あなたにお数珠をあげましょう」
といって、黒い数珠をみっつ、くれた。
「つけるも、つけないも、あなたの自由。ふたつは、あなたのお仲間に、あげてください。」
そして、おんなはゆっくりと、そよ風みたいにふわふわと舗道を横切り、一度も振り返らずに去っていった。
そのおんなのくれた黒い数珠を、ぼくはいつも身につけているわけではないが、いまも捨てられないでいる。
