
ワタクシの故郷は山口県防府市である。
そのためワタクシの世界の中心は防府市であった。
これは「ほうふ」と読むのである。
むかしは読み方が違って、
「ぼうふ」と読んでいた、という説があるが、定かではない。
後年、ワタクシが大阪で暮らすようになり、
塾講師のまねごとをしていた時に
高校一年生の男子生徒から故郷はどこかと聞かれて
「防府市じゃ」
と答えたら、
「なんか、豊かな感じですね」
と言われたのを思い出す。
さて、ワタクシが通ったのは防府高校という高校であった。
防府高校は略称「ぼうこう」と呼ばれていて
そのため正門の前にあるバス停の名称は
「防高校門前」
で、
「泌尿器科か!」
という突っ込みを誘発する笑い話として地元の人口に膾炙していた
さて、その防府高校での思い出話もいろいろあるのだが、
ワタクシはそのとき現場にいなくて、うわさに聞いた話なのだが、
忘れられないエピソードがあるのでご紹介したい。
それは、今までの人生のなかで、だれもが何度かは遭遇したことのあるであろう場面、
一、二度は、自分がその当事者でもあったこともあるであろう、
ようするに、ウケると思って言ったことが、まったくウケなくて、
その場が、恐ろしいぐらいに、シーンと静まり返った、という話である。
その日は新年の新学期の最初の日で、クラスでホームルームの時間かなんかで、
生徒はひとりひとりが、教室の前に立って、「今年の抱負」を述べる。
という時間であった。
そして一人一人「今年はなんちゃらをがんばります」とか、
「僕の今年の抱負としてはまあ健康に過ごすことですかねグフフ」とか、
たいして変わり映えのないことを淡々と発表していたらしい。
そして、クラスで目立たないおとなしい男子生徒の番になって、その男の子が、
「ほうふは、よい町です」
といったそうな。
しーーーーーーーーーん。
それで、もう、教室が、おっそろしいぐらいに静まり返ったという話である。
「床に落ちた髪の毛の音が聞こえた」
ぐらいに静まり返ったらしい。
そのエピソードは、
「なんでこいつはこんなおもんないこというたんや」
という、ある種の衝撃をもってその場にいたものの心を打ち、
瞬く間に学年中にひろまり、ワタクシの耳にも入ったわけだが、
ようするにワタクシがなぜこのエピソードを記憶しているのか、
その男の子の名前すら知らないのに、なぜ今まで覚えているのか、
なにを言いたいのかというと、つまり、
ワタクシはその男の子のその蛮勇を愛するのである。
自分の発表の順番を待ちながら、その男の子は思いついたのであろう。
「今年の抱負なー。なんて言おうかー。なんもないよなー。
抱負、抱負、ほうふ、ほうふ、防府、防府は、よい町です。
ハハハハハっ!おもしろい!これおもしろくない?
わあ。ぼく天才じゃない?これ言ってみようかな?
おもしろいよね?よし、これを言っちゃおう。みんな、わらうぞー。
ドキドキ。ドキドキ。」
と、期待と緊張で、胸を高鳴らせていたのに違いないのである。
そして、いざ、
「ほうふは、よい町です」
といった時の気持ち。
そのあとの、ものすごい静まり返り。
草木も眠る丑三つ時の人里離れた真冬の山寺のお堂の中のような静けさ。
どんな気持ちだったろう、他人ながら想像するだけでも顔から火が出るようだ。
おそらくその男の子は50歳を超えた今になっても
夜寝る前にそのときを思い出して
「うわあああああああ!」
と恥ずかしさにおそわれて布団をかぶって泣いてしまうことが
半年に1回ぐらいあるかもしれない。
しかし、ワタクシは、その男子生徒の、そのときの気持ちを、大切にしたいと思うのだ。
かれはあのとき、たしかに、ひとを喜ばせようとしたのだ。
楽しませようとしたのだ。
自分がこれまでの人生でおそらく一度も人前でおもしろいことを言ってみんなを笑わせた経験がないのにもかかわらず
そのとき、「ぼくは人を喜ばせられる」と思いこみ、ひとを喜ばせようとしたのだ。
そして実際に、
「ほうふは、よい町です」
と言ったのだ!みんなのまえで!うけなかったけど!
その気持ちを、行動を、ワタクシは愛するのである。
たたかうきみのギャグを
たたかわないやつらが笑うだろう
ファイト!
その後の男子生徒のことをワタクシはしらない。
もしかしたら、あの出来事をバネにして話芸の道に精進し、
今では落語家みたいに人を笑わせる達人になっているかもしれないし、
笑わせることではなくても、ひとを楽しませたり、幸せにしたりすることを考え続けて生きているかもしれない。
そう、あの男子生徒と同じように、
ワタクシはこれから
たたかうワイのギャグとして
大邱に会社をつくるのである。
みんな楽しんでくれ!
ファイト!
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ファイト!^ ^