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九十六粒目『都市デザインについて聞きかじりました』

ひょんなことから、
韓国の「都市デザイン」
のお話をしている人の動画を見た。

たしかに!
と思われた。

それは都市だけに限らなくて
ワタクシが「リアル世界自由鑑賞漫遊」を好む気持ちにも通じて
おおきくいえば
人が暮らすこの世をどうデザインしていくか?
それはたいせつなことよ。
というお話であった。

居心地のよい空間
利便性のある空間
多くの人が共有して
交流できる空間を
どう具現してゆくか。
それを考えるのはたいせつなことである。
というお話であった。

たとえば、スマホが普及して
歩きスマホをする人間がいるが、
交差点とか危ないから、やめなはれ!
といっても、やめない

というわけで、横断歩道の手前の、
足元の道に、信号ライトを埋め込む、
これも都市デザイン
人の必要に合わせて
都市空間をデザインしていく
その一例である、という話。

そして、そのお話をしている方は、
こうおっしゃった。

いま社会がなんだか左右に分かれてけんかをしたり
分裂しているように見えるけれども
その大きな要因は
オフラインではなく、オンラインで人は交流するのだけれど、
オンラインでは違う意見の人との交流がむずかしくなる
それは、確証バイアス、
つまり自分の見たい情報、自分に近い考えの情報しか入ってこなくて
異なる意見やことなる人のことが入ってこなくなるからだ

人との交流のきほんはオフライン空間でなされるものだが
いま、オフラインがその役割をはたせていない、その理由が、
オフラインの都市空間では、ほとんどの場合、
お金を払わないと落ち着いて座ることができない。
そんな場所しかないのが大きな問題なんです。
歩道でも、車道でも、移動するための空間しかない。

立ち止まれる場所、ひと休みできる場所、憩える場所がない。

憩える場所は、この都市のなかにはカフェしかない。
お金もちのいくカフェがあり、お金もちではない人たちのいくカフェがあり
いろんな背景を持つ人たちが集える場所がなく、交流できる可能性が少なくなっている

こうなると、同じ町に10年住んでいても、共通の思い出ができないことにもなる。
共通の思い出がなければ、お互いを理解するのがもっと難しくなる。

共通の思い出を持つためにも
お金を払うことなしに、
落ち着いて座れたり、集まれたりする場所が必要なのではないか

だから都市のなかに、ただで集まれる、休める、憩える場所がたくさんあるのがよいだろう。
公園がたくさんあるのがよいし、図書館があるのがよいし、
道にも、ベンチがたくさんあるのがいい。

だれでも、タダで落ち着いて座れることのできる場所が、あちこちにあるということ

—みたいな話やったー。

まあ、ようするに、工夫して頭を使って、
人の暮らす世のなか、都市も、町内も、
家のなかも、部屋のなかも、お庭も、
机回りも、身の回りのことも、
もっと、居心地よく、便利に、デザインしていけるし
それを考えるのはたのしいよ!
それもたしかな「世直し」であり「創造」よ。
ということを教わった気がします。

まずはワイ、掃除ができない性分をなんとかしたいです。
どうすればいいかしら?

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