Home / 今日の一粒 / 八粒目『藤井の敬語①』

八粒目『藤井の敬語①』

なぜ、その藤井の敬語が可笑しかったのか?

まずはその背景にある
「体育会系」の関係性に思いを巡らせてみるのである。

わたくし幼いころは「体育会系」的なものが苦手でしてー。
だいいちに、べつに知らない人と競いたくなかったし、
5歳年上のお兄ちゃんが剣道部で、何回も表彰されるような人やったんやけど
「練習いきたくねーのう」
って毎日毎日イヤがってるのを見てたし、

「おまえも、2年生になったら剣道部に入るんじゃー。
おまえみたいなあまちゃんは、毎日ゲロ吐くぐらい、しごかれたほうがええ。
きさまが剣道部に入ってヒイヒイ言ってしごかれる日々が、ああ、楽しみじゃのう―」

みたいなことをいって圧をかけてくるもんやから、それはイヤやんか。

それで、幼きわたくしはがんばって抵抗して
「ひろちゃんは、本を読んだり絵をかいたりするのが好きじゃろう。
向き不向きというものもあるから、
嫌がるのを無理やりケンドーさせんでもええんじゃないか」
という親戚のおばちゃんのありがたい援護射撃もいただきながら
かろうじて剣道部への入部は免れたけど
「男子たるものスポーツにはげむべし」
という基本の路線はゆるぎないものだったし
剣道はイヤでも、野球はだいすきやったから
小学校の高学年から、中学校にかけて
サッカー部と野球部に入って過ごしたんやけど
2軍や、補欠や、球拾いや、マネージャーや
ひたすらそんなポジションで
公式戦で選手として活躍した記憶がいっさいない。
唯一、お手玉がめっちゃうまくなったのが最大の成果で
中学校を卒業するころには、
「体育会系はもういいや」
ってなった。
それで、高校生になったとき、文芸部に入ったんや。

文芸部に入ってみてびっくりや。

「この世に、こんなすばらしい場所があったのか!」

ここがワイの居場所やったんやー、っておもった。
本やまんがをこよなく愛する人たち、
攻撃性のまったく感じられないおだやかな人たちが
にこにこにしてお茶飲んでおしゃべりしてる。
たのしいなあー。ええなあー。
キラキラした羽が背中に生えたよう気がしたな―。
ここは楽園か?安心して涙が出そうや。
文芸部のために、ワイは、
全時間、全体力、全貯金、すべて捧げてもいいかも、ぐらい思ってた。
毎日がバラ色やった。
水を得た魚のように文芸部にいくのがだいすきやったんやなー。

ところが
授業中に何も考えていないのに青春の神秘がむくむく膨張してきて戸惑うようなお年ごろという不安定な情緒の暗雲が立ち込めてきたということか。
いつしか文芸部のほんわかした雰囲気と人間関係が
からだに合わなくなってきたんやなー。
どうも「ぬるま湯」のように感じられてきて
このままではワイはダメになる、と思われてきた。
「燃えたい。走りたい。」
そんな気持ちがふつふつとわいてきてしまったんやなー。

あと、当時は街に、不良といわれる人たちがいて、
弱そうなやつを獲物と見定めて、カツアゲしてたんや。
ワイもいちどだけ、中学校を卒業したころに
商店街で、三人組に囲まれて、三千円+αをとられたことがあった。
何も抵抗できずに、財布を抜き取られて、お金をとられた自分がいて、
それは夢ではなくて現実で、ショックやったなー。
そいつらは、立ち去り際に

「おまえ、すぐ家に帰れ。ぐずぐずしちょったら、残りの金まで取られるど」

って言ったんですね。
でも、あいつら、ワイの財布から、
500円玉と、100円玉と、50円玉まで取ってたんや。
ワイの財布から千円札を抜き取ったあとで、
リーダー格のやつが、
「500円はとれ。100円は残しといてやれ」
って言ったんや。
それでワイは一瞬、「100円は残るんや!せめてもの慰めや!よかった!」って思ったのに、
ワイの財布を持った実行犯のやつが、ハアハアしながら、
緊張しているのかちょっと震える手で、
ワイの財布の小銭のポケットをジャラジャラやって、100円もとって、おまけに50円玉までとったんや。
「あああ~、せめてお慈悲を~、50えんだけはおゆるしを~」って感じやったわ。
だから、財布に残っているのは、10円玉と5円玉と1円玉。
それなのに、
「残りの金まで取られるど」
という捨てぜりふを残されてやな。
それがまた、情けなさに輪をかけたんやな―。
とほほのトホホの最上級ですわ。

「ワイって、こういうときに、身がすくんで、やられっぱなしになる人間やったんやな。」

現実の自分の姿は、
それまで自分がバカにして軽蔑していた、
意気地なしの弱っちいやつやった。
ありのままの現実を思い知らされたんやなー。

その日から、
もし、次にまた同じ目にあったときは、なにがなんでも、なんとかしたい。
暴力で対してくるやつに対抗するすべを持つことが急務である。
暴力には暴力で対抗できる心身を養っていこう。
それを行使するのは最終手段としてやけど。
少なくとも──
暴力をチラつかせてくるやつらと対しても
言いなりにならない。ビビらない。
はね返せるだけの備えを、何通りか持つ。
その思いを心に抱いていたんやなー。

そのためには、今の自分のままでは、いられないやんか。
そんな気持ちが、高校生活の後半になって、めきめき大きくなっていったんやな。

それで、ワイは大学生になったとき
初めて、自らの意思で、体育会系に属すると決めた。
目をらんらんと輝かせて
ボクシング部に飛び込んでいったんやなー。

さて、そのボクシング部の同期のひとりが
藤井っていう人間やった。

「藤井はド天然よなあ。
おまえもまあボケてるけど、
作ってる感じがあるやんか。
ボケを演じているところがあるやんか。
藤井は、あいつは、ほんまもんやもんなあ」

と言われるような人物で、
いわゆる天然ボケの純然たるやつ、
混じりっけなしの天然、
ペットボトルに入れて振ったとて
微細な泡の一つもできないぐらいの
エミネラスな天然ボケやった。

というか、練習でなぐられすぎて
生来の天然ボケに加えて
輪をかけておもしろくなってしもーたんや。

たとえば、あるいてどまあるい石が
川を流れてきて
上流から下流に行くまでに
ごつごつほかの岩にぶつかって
どんどん角がとれていって
つるつるのまんまるになった
みたいに
ボクシングの練習で
毎日ボコボコ殴られることによって
あらゆる人間の常識という角が取れて
つるつるのまんまるにおもしろくなったんや。
とワイは解釈している。

ある日、先輩が困った顔をして、

「わたなべ、あの、藤井な。
あいつ、「ハイ」を言うタイミングがおかしいわ。
あいつ、悪気はないと思うんや。
でも、ぜったい、おかしいから。
わたなべからも藤井に注意しといてくれ。
おれらは、あいつがああいうやつやって知ってるから、怒らへんけど。
例えばOBの皆さんが来てくださったときに
あんな返事をしとったら
絶対、気分を害されると思うねん。
「ハイ」のタイミング絶対おかしいから。
いうといてくれ。」

と言われたけど、何のこっちゃ、いまいちようわからん。
それで、藤井がコーチにミット持ってもらって
ミット打ちしてるところを見てたら、
こんな感じやねん。

ミット打ちが終わって
ミットを持ってあげていたコーチが、
藤井にひとことアドバイスするんやな。

「ええ感じで打ててるけど、やっぱりお前の癖として、打つときに右のガードが下がるから。
しっかりあごにつけて。ほんで、軽いジャブと、強く打つジャブ。打ち分けの意識はあるけど、強く打つジャブをもうちょっと、確実にこぶしのこの部分で、がちーんと、当てる。それを意識して、普段のサンドバッグとかでも、練習すればええと思うわー」

というその15秒ていどのアドバイスの間に、
藤井は元気いっぱいの「ハイ!」を、100回ぐらい言うた。
いや、100回はウソやとしても、20回ぐらい言うた。マシンガンのように、相手の話す間とか全くお構いなしに、

「ハイ!」「ハイ!」「ハイ!」「ハアアイ!」「ハイ!」「ハイ!」

と、食いかかるように、ハイハイいうてるねん。
「え?え?」ってなってるわな。
でも、その表情は真剣そのものなんや。

たぶん、藤井はコーチの話を聞いて何かわかる単語があった瞬間に、
「ハイ!」っていうんやろな。
それが礼儀で、素晴らしいことやと、信じてもーてるんや。
「ハイ!」をいっぱい言えば言うほど、誠実で真剣さが伝わると
「ハイ!」を連発しなかったら、意思疎通に齟齬をきたすと
思いこんでもーてるんやろなー。

これもし、コーチが田原俊彦さんなら
「馬鹿にしてんのかー!」
ってまちがいなく突っ込んでくれそうや。

さて、藤井のエピソードのは枚挙にいとまがないというか、
あまりに多すぎて、逆に大部分を忘れてしまってるんやけど、
そして、多くのエピソードは
藤井のあの、ぬらりひょんのような風貌とか、
しゃべり方とか、口調、表情、雰囲気、オーラ、
それらすべてがあいまっておもしろいから

「その話、ぜんぜん面白くないやんけ!」

と思われる可能性大である、ということを承知のうえで、
藤井の敬語事件について、文字だけで、お伝えしてみます。

(つづく)

タグ付け処理あり:

2 件のコメント

  • いますね、お返事がやたらと印象的な方!

    卒業式の時は藤井さん、ハイ連発されなかったのか少し気になりました、はい!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です