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百二十五粒目『なかよくしたいねこ』

なかよくしたいねこがいた。
いつも、ほかのねこたちとなかよくしたかった。
けれど、なかよしのねこができなかった。

ある夜、ねこは月に向かって言った。

「どうしてなかよしのねこができないのだろう。
ぼくはいつだってなかよくしたいのに。」

そしたら、月が言った。

「きみは、なかよくしたいのかい?
でも、そうはみえないね。」

ねこはすこしおこって、
「ぼくはほんとうに、なかよくしたいんだよ。」

月がこう言った。

「きみは、なかよくしたいと思っているんだね。
でも、思っているだけだよね。
なかよくしようとしているようには見えないよ。
きみは、なかよくされたいねこだよ。」

なかよくしたいねこは
「ほんとうにぼくはなかよくしたいのだけれど。
そうか、おもっているだけではだめなのか。
でも、なかよくしましょう、というのは、
うけいれられなかったら、いやだなあ」
と思った。

そしたら月がこういった。

「なかよくされることと、なかよくすることは、同じなんだよ。
なかよしっていうのは、ふたりのあいだのことだから。
なかよくするねこがいれば、なかよくされる相手のねこがいるのだし、
なかよくされるねこがいるのなら、一方になかよくするねこがいる。
だから、なかよくすることと、なかよくされることは、同時に生まれて、一緒にあるんだよ。
だから、どちらもおなじように大切なんだけど、
なかよくされることよりも、なかよくすることをめざすのがいいよ。」

そうなんだ。
と、なかよくしたいねこはおもった。

そして、なかよくしたいねこは、よくじつ、
「なかよくしよう」
とほかのねこにはなしかけた。

そしたら、そのねこはうれしがって、
ふたりはなかよしになった。

なかよしは、おおいほどよいから、
なかよくしたいねこは、会うねこごとに、
「なかよくしよう」
といった。

そうして、次々と、なかよしのネコができていった。

なかよくされたいねこは、いっぱいいたのだ。
けれど、なかよくするねこがいなかったから
なかよしがうまれなかったのだ。

なかよくしたいねこが
「なかよくするねこ」になったので
「なかよくされるねこ」がうまれ
なかよしがうまれた。

なかよしのねこがたくさんできて
ねこたちはしあわせだった。


あるひ、なかよくするねこは、
いつものように、はじめてであったねこに、
「なかよくしよう」
といった。

あいてのねこは、
フンっと顔を背けて、
「いやです。なかよくできません。」
といった。

「どうしてはなしかけてくるのですか。
わたしはあなたと、なかよくしません。」

なかよくするねこは、
きずついてしまった。

そして、夜になって、月に言った。

「なかよくすることをめざしましたが、
今日は、なかよくなれませんでした。
こんなことがあると、
なかよくするのが、いやになりますね。」

月は言った。

「それでも、きみは、なかよくすることをめざすのがいいよ。
だって、きみは、なかよくしたいねこでしょう?
そしたら、
なかよくされるよりは、なかよくすることを
めざしたらいいよ。
それは、なかよしの、たねをまくことだよ。
たねがまかれなければ、なかよしはうまれないんだよ。
きみはきょう、きずついたかもしれないけれど、
なかよくしたければ、たねをまくことがいちばんだいじなんだよ。
だから、もし、きずついても、なかよくすることをめざすのがいいよ。」

それで、ねこは、きょうもかわらず、なかよくしようとしています。
そして、出会ったねこが、なかよくされるねこだったら、なかよしがうまれる。

だから、なかよくすることも、なかよくされることも、どちらもだいじ。
そして、
なかよくされるよりも、なかよくすることをめざすのが、もっとだいじ。
だから、少しきずつくことには平気になって、今日もひなたぼっこしている、なかよくしたいねこである。

2 件のコメント

  • 来世ではなかよくする猫になる予定の人間
    返信

    絵本作家になれますね👍🏻👍🏻👍🏻👍🏻👍🏻
    いい絵本です👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻

  • 私は犬派ですが、、、
    返信

    ネコ社会でもきっとこんなやり取りが交わされているのでしょうね。私も、仲良くされたい派の方でした。でも、大人になってからようやくわかってきたのです。人それぞれ、ネコそれぞれ、性格も違うし感じ方受けとめかたも様々。だから、人て関わるって楽しくて不思議なんだと思います。

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