「体育の時間にパンツのゴムが切れた!きみはどうやって切り抜ける?」
ワイらが子どものころは、いまのようにインターネットがなかったから
われわれタダの人が、広くことばを発信するすき間があるとすれば、
それはラジオなり雑誌なりの「読者のコーナー」にはがきを送って
そこで採用してもらう、というのがせいぜいであった。
「体育の時間にパンツのゴムが切れた!きみはどうやって切り抜ける?」
これは、わたくしが小学生だったころ、
5歳年上のお兄ちゃんが購読していた「中一時代」という雑誌をこっそり読んでいたのだが
その「読者のひろば」みたいなページで出されていたお題である。
当時の日本全国の中学一年生たちのなかで
「われこそは」と思う変わり者たちが知恵をふりしぼって、
あれこれとおもしろい回答をはがきに書いて投稿したのだろう。
そこにはいろんな回答が掲載されていたのだが、そのなかに、
「パンツのゴムが切れたっていいじゃないかおかもとたろう。」と言う。
という回答があって、幼きワイはいたく気に入ってしまった。
のちになって、「おかもとたろう」が有名な芸術家のなまえだったのだと知る。
ひとはしあわせを願うだろう。
平穏な日々を願うだろう。
ワイも「世界じゅうの人々がしあわせに暮らせますように」と
幼いころから頻繁に祈ってきたもんや。
しかし同時に
「人生は(芸術は)爆発だ!」
という考えも
人びとの心をとらえつづけてきたことであろう。
しあわせや、やすらぎをもとめる、
けれど、それだけではない、
いや、むしろ、生きていることの根本は
「歓喜」にあるのだと。
いま心が動いた、それにすべてをかけて打ち込むこと。
たしかにそれは真実にちがいなくて、
しかし、ひとは、いつも「歓喜」のうちに
「爆発」していられるものであろうか。
そして、ある人が「爆発」していられるとして、
それは、そのまわりでいろんな人が支えていて、
「爆発物」のあと始末をしているおかげということはないのか。
灼熱の夏の日も、やがて翳る
燦燦と陽光が降り注ぐ時間のあとには、闇夜が訪れる
日照りが続いても、いつしか慈雨が大地を潤す
だから、人生の「爆発のとき」を、
人生の「やさしいとき」が、
準備し、支えているのかもしれない。
ともあれ
「人生は爆発だ!」
過去にとらわれず、未来を案じず、
ほんとうにたいせつなことは、
いまこの瞬間を全力で生きること。
といわれれば、「そのとおり」と思われる。
もし
五十歳を超えて
町のちいなさ八百屋さんが
異国に会社をつくろうとするならば
それは、ちいさな「爆発」が起こっていることだろう。
けれど「爆発」がずっと続くわけでなし
不安や苦しみが訪れるであろう。
けれど、たしかなことがひとつある
八百屋さんは今いきているということだ。
そして今この瞬間こそが
不安であれ、苦しみであれ
八百屋さんの人生で最も大切な時間なのだ
八百屋さん、その不安、その苦しみ、
「爆発」の燃料に変えてしまえ!
爆発してくれーなしを握りつぶすんだ八百屋さん
トマトを四方に投げまくれ!
なすをかたっぱしからひきちぎれ!
八百屋さんは爆発だー
百十五粒目『八百屋さんは爆発だ』

1件のコメント
スペインのトマト祭りや‼️
寝起きで頭が回らん。
スペインって国あるよね❓🇪🇸
あ、あるわよかった。
芸術は爆発だ‼️といえば
私にとってはNARUTOです🍂