ワイが小学一年生の時のお話や。
ワイの通っていた小学校は、明治にできたのかなあ、古い学校で、木造の校舎やったんや。
翌年の二年生になってからは、新築のコンクリートの校舎に移ったから、
ワイらの学年が、木造校舎で学んだ最後の代になるんやな。
トイレは、離れに別の建物があって、そこがトイレや。
さて、ワイらが小学生のころは、学校でうんこをしたら、とことんまでからかわれて、うんこマンというあだ名がつけられたもんや。
ビートたけしさんがネタにしていたけれど、学校でうんこをしてはいけなかったんや。
今でもそうなんかな?今はそういう迷信みたいなのはなくなっていそうなもんやけど。
さて、ワイもその風習というか、鉄のおきてにしたがって、学校では絶対にうんこをしなかったんや。
しかもなんかワイって「にゃんた」ってよばれていてちょっと人気者かもウフってうぬぼれていたところがあるがきだったから、キャラ的にもとりわけうんこをしてはいけなかったんやな。
そんなある日のことや。ワイは朝からおなかが緩くてしょうがなかった。
朝から大便を催していたのだが、ぼくたち絶対に学校でうんこをしてはいけないじゃないか。
それで、ワイは耐えに耐えて、午前中の授業を受けていた。
一年生だから、午後は授業がないから、給食たべて、掃除して、先生、サヨウナラや。
そこまでの辛抱や!
うんこなんて、我慢しようと思えばいくらでもできるもんや。
と、思っていた時期がワイにもありましたね。
しかし、しかしですね、だんだんシャレにならなくなってきたんや。
便意の波というものがありまして、
襲ってきては、しずまって、を繰り返すんやが、
その波がだんだんと大きな波になっていくんやな。
そして、掃除の時間、ワイはもう、直立姿勢を崩せないというか、
すこしでも、脚の形が、「がにまた」になったら、うんこが漏れ出てしまうというか、
そんな限界状態にまで達していたんや。
そして、また便意の波が襲い来て、
「アアアアア....」
もう、限界、でも、ここで漏らしたら、人生終わる。。。
小学一年生の小さな体と、たましいをいっぱいに使って、何とか便意の波がおさまるまで、なんとかこらえぬくと、
「だめだ、次の波が来たら、もう、まちがいなく、うんこもらす!」
と思って、ワイは教室を飛び出すと、離れのお便所にむかって走っていったんや。
幸い、お便所には誰もいなかった。
よかった、今がチャンスや。
そう思って、大便のほうの木の扉を開けようとしたとき、
そのとなりの木の扉が開いて、見知らぬ女の子が出てきたんや。
その子はワイのほうを見て、
「うんこするん?」
って聞いたんや。
ワイは、
「いいや!うんこなんかせん、せん!」
と、そんなばかなことありますか、なぜ、わたくしが、学校でうんこをするなんて、そんなばからしい。あんまりみくびらないでいただきたい。はははのは。
という空気を出して、その場から離れて、教室に戻ったんや。
いま考えても、あのとき、あの女の子さえ現れなかったら、と悔やまれるんや。
そしてワイはもう、目を白黒させながら、必死に便意に耐えて耐えて、ついに、下校や!
いつもなら、ふじいひろしくんと一緒に帰るところやが、
そんな余裕あらへん!
ワイはもう、ちょこまか内またで小走りで、一刻も早く家に帰りつこうと、校門を出たんや。
襲い来る便意に立ち止まり、耐えて、また走り出し。
学校から家まではすぐ近くなんで、走れば3分や。
ワイはさらにショートカットの細道のほうに入って、走った。
しかし、この、走るという行為が、きっと、腸に衝撃を与えたんやろな―。
その細道の、中間地点に来た時やった。
ものすごい便意の波が襲い来た。
まるで津波のような大波やった。
ワイははっとして立ち止った。
た、耐えろおおおお!!!!!
全身全霊でワイは耐えた。またをぎゅううッとしめた。
しかし、大波に、大自然の力に、人間がどれだけ耐えうるものであろうか。
精神の力が、あるがままの肉体を凌駕できるものであろうか。
どんなに気合と根性がケタ外れであったとて、
例えば銃で撃たれたならば、
あるがままの肉体は、あっけなく力を失うのではないか。
そんなわけで、ワイは、虚空に手を伸ばし、プルプルと小刻みに震えながら、
便意の大波に飲み込まれ、身をさらわれていったのであった。
ぶりぶりぶりぶりぶりぶりぶりぶり~~
もしくは
にゅるにゅるにゅるにゅるにゅるにゅるにゅるにゅる~~
こらえにこらえた水うんこが、決壊したのだった。
はてしなく、だらしなく、たまりにたまった下痢うんこが、止めるすべもなく放出されていくのを感じつつ、
ァアァァァァァァァァ...
ワイは、ショックと、屈辱感に、カクカクとふるえていたのであった。
足元に、まるでプッチンプリンをかきまぜたような、
黄土色の「水たまり」ができた。
ワイは、茫然自失となり、
「わーん」
と泣きながら、家に走り出した。
「わーん」と泣きながら、といったが、涙は出なかった。
あまりのショックで涙が出ない。
心は完全に泣いているのだが、
涙は出ないし、声も出ない。
ただ、形ばかり、かすれた声で、
「わーん」
「あああん」
といいながら、ワイは走って帰ったなー。
ほんとうに、ほんとうに、みじめだった。
「ザ・みじめ」
やった。
その翌日から、ワイはその細道を通らなくなった。
一緒に帰っていた、ふじいひろしくんが、その細道のほうを通ろうとすると、
ワイは必死に止めた。
「この道は行かない方がいい!ものすごい気持ちの悪い、恐ろしいものがあったから、あれをみたら、生きては帰れないから、いかないほうがいい!」
とかなんとか言って、必死に止めたなー。
あのプッチンプリンがどうなっているのか、
こわくてこわくて、何か月も何か月も、その道を通れなかった。
そのことがあって、わたくしは、
「うんこは耐えれない」
「下痢の便意の波には勝てない」
「走ってはいけない」
などということを知ったし、
うんこが漏れそうなとき、ひとは「がに股」になることができない、ということも知った。
それで、あるとき、ひがしくんが、
「にゃんたにゃんた、いもちゃんが、ワイがうんこもらしてるっていう!」
いもちゃんが、
「ひがしがうんこもらしちょる!ひがしは、もらしてないってうそついちょる!」
といって、論争をしていて、その審判をゆだねられたとき、
「それではひがしくん、こうして、ふんばって、がにまたのポーズをしてみたまえ」
といいましたね。
ひがしくんは「こうか?」といって、がに股ポーズをしました。
それで、ワイは自信満々にこう宣言した。
「ひがしくんは、うんこをもらしていないっ!」
さすが、にゃんた、ものしり。
わたくしは、正確な判定をしましたね。
これが、「経験から得た知」というものなんですね。
すばらしいですね。
2 件のコメント
それはそれは、大変な経験をされたのですね!、、、なんて他人事ではありません。誰しもあります、あります!言わないだけ、知らないだけ、知られたくないだけで広まってないのかもしれないし、何処知らない場所では密かに広まっていたのかもしれない。何はともあれ、出なきゃいけないものが出てくれて何より。上げ下げする時は、自分の身体の治癒力ではどうすることも出来ないからそうなるらしいです。出さないと胃に穴が空いちゃったり、怖いんだって😨!とか言うわたしも昨夜はヤバかった〜。
コメントできてなかった🥺
そこで「にゃんたはものしり」で済んでよかった!
「なんでそんなことしってるんや?」
って流れにならないで良かった‼️