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百三十八粒目『ねこまる和尚の説法』

ある町に古い本屋さんがあって、
一匹ののらネコが住みついていた。

名前は「カトリーヌ」。
これは店主の男がつけたんや。

白いネコで、毛が長くて、
のらねこながら、なんとも優雅なオーラをまとっていたんやな。
店主の男は、このネコをはじめてみたときに、思わず、

「おお、カトリーヌ」

といったんや。

でも、よく本屋に来る小学生の女の子は
カトリーヌのことを、「ねこまる」とよんでいた。

さて、あるひ、女の子が学校帰りに、
日なたでねているカトリーヌの前にしゃがみこんで、話しかけていた。

「あーあ。しあわせになりたいな。
ねえ、ねこまる。」

カトリーヌはチラっと、女の子のほうを見た。
女の子はさみしそうにしていたが、ほどなく立ち上がると、家に帰って行った。

日が暮れて、店主の男が本屋を店じまいするときに、
カトリーヌがぽつりと言った。

「なんで、人間は『しあわせになりたい』っていうんだろうね?」

男は少し笑って、

「そりゃ、しあわせになりたいからやろ。しあわせがいいに決まっとるわな。」

と答えた。
カトリーヌは首をかしげた。

「しあわせというのがなんなのかわからないけど。」

「なんで、そんなこと考えこんでるんや?」

「今日ね、あのいつもの女の子がきてね、しあわせになりたいなって、さみしそうにしてた。」

「ふーん。なんか、いやなこととか、つらいことがあったんやろな。」

男はシャッターを下ろしながら、
ため息をひとつついた。

「まあ、人間はな、いろんなことあるし、背負って生きとるからな。
 しあわせやないと、あかんような気にもなるんや。」

カトリーヌは、しばらく考えるように無表情でいたが、
ゆっくりと尻尾を動かすと、

「でもね、わたしたちネコは、
 しあわせになりたいと思っているかもしれないけど
 しあわせじゃなきゃいけないとは、おもわないなあ。
 おなかがすくのはつらいし
 けがをしたら痛いし
 いろいろ不幸なこともあるけれど
 眠たくなったら眠るし
 おひさまがぽかぽかしてて
 風が気持ちよかったら
 それだけで『ああ、ええなあ』と思う。
 それでええんちゃうの?人間も。」

男は思わず笑った。

「いやぁ、カトリーヌ、おまえはえらい坊さんみたいやな。」

カトリーヌは目を細めて、

「ふふん。ネコは、昼寝とあくびと毛づくろいをしているうちに、悟りを開くのです。」

翌日の午後、
あの女の子がまたやってきた。

ランドセルを背負って、店の前に座る。

「ねこまる。」

カトリーヌは店先の古い木箱の上で丸くなっていたが、
ふと顔をあげると、女の子に言った。

「きょうはいい風がふいてんねー。」

女の子はびっくりして目を丸くした。
(ねこまるがしゃべった!)

でも、すぐに笑って、

「うん、たしかに気持ちいいね。」と答えた。

カトリーヌは、しっぽをくるりと回して言った。

「ねえ、きのう『しあわせになりたい』っていってたでしょう。」

「うん、しあわせになりたい。」

「じゃあ、今はしあわせじゃないの?」

「どうかなあ。もっとしあわせになりたい。」

「そうなんだね。
 あのね、ねこはね、
 今日みたいに風が気持ちいいときとか、
 ひなたでおひるねしているときとかね、
 それでね、いいの。
 しあわせになりたいって思わないのね。
 人間はそうじゃないのよね?
 もし、しあわせじゃないとして
 ねこは別に問題だと思わないの。
 けがしたりね、
 お友達が消えたりね、
 おなかすいたりね、
 しあわせじゃないこともあるよ
 でも、もともとそんなもんだって思うのね。
 それが『ふこう』だというのなら、
 もともとがふこうなのね。
 ふこうが正常だなっておもうのね。
 ここの主人がたまに、おさかなくれたりするのね。
 その時はおいしいもの食べられてしあわせ。
 しあわせなときもあるけど、それはたまにあることなのね。
 いつもしあわせであるわけがなくて、それでいいのね。
 しあわせって、たまたま起こる特別ラッキーな短いとき。
 あってもなくても、ありのままでうけとるの。
 ねこにとってはね。
 そして、かぜがふいて、あたたくて、ねていたら、
 ああ、ええなあって、おもうのね。」

女の子は少し考えて、

「ふーん。ねこはいいね。」

カトリーヌは一回大きくあくびをして、

「人間も、ちょっとだけ、ねこみたいになったらいいのにね。」

「ねこみたいに?」

「そう。
 しあわせじゃないっておもうんじゃなくて、
 あ、いま、かぜがふいて、ちょっとええなあって思えたら、
 それで、もうオッケーと思うの。」

女の子は空を見上げた。
暮れ始めた秋空にたかく筋雲が広がっていて
ほんのり夕陽に染まりはじめていた。

「いま、なんか気持ちいいかも。」

カトリーヌは目を細めて、
「ええやん」
とだけ言った。

女の子は笑って、
「またくるね」
と言って、

「ねっこまる。ねっこまる。」

と、うたいながら帰っていった。

日が暮れて、
店主の男がシャッターを下ろしていると、
カトリーヌがのびをしながら言った。

「きょうも ようねた。」

男は笑って、

「ワイもおまえみたいになりたいわ。うらやましいわ。」

カトリーヌは前足をそろえて座りなおすと、

「じゃ、本屋さんやめて、いっしょに、ひなたぼっこして、ねて過ごす?
でも、わたしのごはんある?」

男は笑って、

「やっぱりワイは、はたらなかあかんわなー。人間はねこのしもべやなー。」

カトリーヌは前あしでゆっくりと顔を洗い始めた。

「きょうも、ええ日やったー。なあ、カトリーヌ。」

カトリーヌは目を細めて、
小さくゴロゴロと喉を鳴らした。

「ワイら人間も、おまえらねこも、
 生きてるだけでまるもうけ、
 かもしれんな―。」

男はカトリーヌをひょいとだっこして、
本屋さんの中へと入ると、しずかに扉を閉めた。

並木のイチョウの葉っぱが2枚、ぱらぱらと金色に光って舞い落ちた。

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