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百五十一粒目『まゆ先輩との再会③テグ1998年6月』

さあ、ことばはわからないけれど、身ぶり手ぶりである程度は何とかなるもんや。四苦八苦して高速バスのチケット買うたで。
これからバスに乗って、テグへ。ワイのおじいちゃんが手広く農園を経営していたという、父の出生地だという、そして敗戦によってきれいさっぱり手放して引き揚げてきたという、大邱という町に向かうのだ。

行く手にはなにが待ちうけているのであろうか。
これから、ワイはいろんなものを見て、そうして将来、大作家になるのであるからして。

バスは出発した。日本に比べると高速バス料金はべらぼうにやすかった。なんか高層アパートがいっぱいたっとる。
なんだか懐かしいような風景でもあった。たてものの形とか空気の感じは見慣れた山口や大阪とは違う光景ではあるが、異国とはいえ、地球である。家があり、道路があり、土があり、緑があり、山があり、川がある。
なんか、むかしにタイムスリップしてきたような感じがした。子どものころの、生まれる前の、古いテレビで見る、昭和の感じ。

さて、バスは一時間ちょい走って、東大邱(トンデグ)っていうステーションについた。
バスから降り立つと、ワイは、オンス旅館っていう宿をめざした。
そう、そのころスマホとかGPSとかないやんか。ワイらみたいにボーっと生きとるもんには、「20年後には、ほとんどのひとがに片手に収まるサイズのスマートフォンとかいう小型のパソコンつきの電話を携帯していて、その画面には地図が出て、衛星から電波が届いて、自分の位置が地図上に表示されるようになりますよ」なんて話を聞いた日には、「はあ?できるわけないじゃろう。なにをいうちょるんじゃ。たわけが。ドラえもんの読みすぎですか?」というぐらい、想像もつかないことやった。

ではどうしていたのかというと、当時の海外旅行者のバイブルで、『地球の歩き方』っていう本があった。今もあるけどな。当時はそれがかなり海外旅行者の必携の書やったように思う。ワイはそれの「韓国編」を買っていったんかなあ。「プサン、慶州、テグ編」があったのかなあ。ひとびとは旅の前にそれで下調べをして、宿の情報ものっていてるから、ここに泊まろって決めておくことができる。しかし、その情報源はたいてい口コミのようだったし、編集して印刷して本になるまでに時間のラグがあるから、情報が最新ではなくて、たよりない部分もあるのだけれど、ワイは東大邱駅の周辺にあるというオンス旅館っていうのに泊まろうと定めていた。なんせやすかったから。ワイは『地球の歩き方』を開いて、小さな地図を頼りに、オンス旅館に向かった。でもな、そんなわが命綱である『地球の歩き方』に載ってる地図ってええ加減なところがあって、地図の示すとおりに歩いて行っても、目的地たどり着けないっていうことが結構あるねんな。「地球の迷い方やんけ」っていわれていたみたいやで。そう考えると今はスマホがあって便利になったけど、そういうアナログなおもしろさ、「この地図にはこうかいてあるけど、ほんまかいなこれ?」という、出所のあやしい宝地図をもって冒険に出るみたいな、妙なおもしろさはあったよな。

さて、オンス旅館にたどり着いて、『地球の歩き方』の情報では「2泊するからまけてくれ」、いうたらまけてくれるらしかったから、「カカジュセヨ」いうたら、ホンマに安くなった。すごいシステムや。

ほんで、お部屋に入ってほっと一息。落ち着いた。ほんでもシャワーでお湯が出えへんのやな。
『地球の歩き方』と「旅行で使える韓国語」のノートをみながらやな、フロントに行って、フロントいうか、玄関にある小窓の中におるおばちゃんにやな、お湯が出ません、

「オンスガ アンナワヨ」

いうてみたら、時間帯によってお湯が出る時間と出ない時間があるらしかったわ。
オンス(温水)旅館、いうくせに、オンスが出ん時間帯があるとはな。
まあまあ、なんやかんやで意思疎通はできるもんやなー。

さて、それで、それから、どうしたか、覚えてないわ。
ワイ、日記とか、写真とか、過去の思い出をたいせつにとってる人で、そのときの初めての韓国滞在のノートとか写真とかも山もり保管していたんやけど、数年前にぜんぶ燃やしてしもうたさいかいにな。
思い出は、頭やこころに覚えとるぶん、それだけでじゅうぶん、っていうことにしたんやな。
死んだらゴミになる自分の思い出の記録たち、過去の記録たちは、自分の手でちゃんと天に返して、それで身軽になれて、今を生きられる、と思ったんやな。ものをすてたくらいで過去は消えないからな。

そうして過去を記録したものをすてたおかげで、ワイはこのようにして今、頭とこころに残っているパーツだけを組み立てて、思い出ばなしを軽やかに創作できているというわけや。

それでな、オンス旅館のフロントのおばちゃんがな、
「もうひとり、日本人が泊まっとるで~」
いうておしえてくれたんや。

大邱に来る日本人の旅行者なんて、当時はめずらしかったにちがいないのに、そして、テグのホテル、安宿、旅館なんて、たくさんありそうなもんやが、こんな貧乏旅行をする日本人はたいていが『地球の歩き方』の情報が唯一のたよりやから、こんなふうに、同じところに泊まっていたりするんやな。

そして、ワイはそのときオンス旅館に泊まっていたもうひとりの日本人、名前がなんやったかなあ。忘れたから、「シルバー紳士さん」というなまえにしよう。頭髪がシルバーの、六十代ぐらいの、ちょっとこじゃれた身なりのおじさまと知り合って、いっしょに夕ご飯食べましょか、ということになったんや。

ゆきずりで出会った人とすぐにうちとけて一緒にごはんを食べにゆく。いやー、一人旅ってええもんやなー。いまのところ。

1件のコメント

  • 常に彼氏がいたので一人で県外から出たことない子供な人
    返信

    地球の迷い方笑笑
    でもなんかワクワクする!
    ただ迷うより面白い!

    素敵な出会い!お互い1人で日本から出発したのに、二人でご飯を食べるなんて!すてき!

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