「独立記念館」を出て、清州の大学に行ったのかなー。ちょっと、もうこの辺は記憶が飛び飛びで、バラバラになってしまった。
というわけで、いったんここで、1998年の話は、おしまいにしましょう。
パク先生とカンさんご夫妻の韓屋に泊めていただいたり、清州大学で、日本語研究会みたいな集まりにも招かれたり、いっしょに学食でサムゲタンをいただいたり、いろんな大学生に出会って、おもしろい思い出はけっこうあるんやけど、清州でのことはまた、折に触れて書いていくことにしますね。いまは、まゆ先輩の話から脱線しているから、戻さなあかんから。
「日本と韓国は近くて遠い国というけれど、韓国側は思ったよりけっこう日本に関心を持っているぞ。日本のほうがもっと関心を持ったら、近くて近い国になれるのでは。」
という感想を持って、最終日は、プサンのチャガルチ市場でキムチとかのお土産を買って、関釜フェリーに乗って帰国した。
それから、韓国で出会った5、6人と手紙のやりとりをしたんやけど、そのころ韓国では手紙の検閲があったんやなー。今では考えにくいけど。第三者に開けられて読まれた跡が歴々の手紙が届いたことがあったなー。
それで、まゆ先輩にも手紙をかきましたー。ボロボロの赤い靴をはいたテグに住むふしぎな芸術家のイメージ、「赤いくつはいてたおんなのこ」という童謡の歌詞が思い浮かぶ、ふわふわと、雲の上を歩いている、仙人のようなイメージ。得難い友人を得たわー。それで、まゆ先輩とは年賀状のやりとりがつづいていたんやけど、ある年の年賀状で、「おかあさんになりました~テヘペロ」みたいなのが届いた。おお、いいなあ!というか、それはそれは、母子ともに、しあわせな未来をいのります幸あれ!みたいなお返事をしてやな、次に会うたのが、2001年かな、なんか嶺南大学で日韓の美学会があったのかなあ。ワイも日本側の美学科の卒業生ということで、嶺南大学にも行ったことがあるってことで、先輩からお声がかかって参加したのかな。それで、そのときに学会の会場、講堂みたいなところで、まゆ先輩に久しぶりにおうたんやな。冬場で、まゆ先輩はなんか青いスタジアムコートみたいなのを着ていて、あかちゃんの「ほうちゃん」をだっこしていた。おとこのこや。ほうちゃんはちっちゃくてかわいらしくて、ワイは「かわいいなー」いうてほうちゃんをみてたわー。ほんで一緒に写真を撮ったわー。ミン先生もいらっしゃったし、ミン先生を紹介してくれたハマシタ先生もいらっしゃったなー。うれしい再会やったー。そのときにロッキさんとも出会ったんやったなあ。ロッキさんとはだれやというと、ロッキさんはロッキさんや。としか言えないなあ。だってロッキさんやからなあ。ホンマにロッキさんにはその後もようしてもらったけど、今もお元気かなあ。
ほんでまゆ先輩とはその後も年賀状のやり取りが続いてやね、それで、2003年の1月、ワイが急転直下、ワーキングホリデイビザで、韓国に渡るとなったときに、手紙かメールで知らせたんやな。1998年にはじめて韓国にいってから5年後。あのとき知り合って手紙をやり取りした韓国人のうち、この時までやり取りが続いていたのはまゆ先輩だけになっていた。ほかのみんなも、思い出すと狂おしいぐらいなにつかしくなって、いま元気でいるのかなって、安寧をねがう人の顔が何人も思い浮かぶけれど、出会った人全員といつまでも手紙のやりとりを続けるわけにもいかないし、思い出のなかでこそ美しくありつづけるということもあるから、「縁」というものがたしかにあるんやろなー。
この2003年のときも釜山港でフェリーから降りたとたんに、初韓国の時と同じで、あ、ちなみにこの時のフェリーは関釜フェリーではなくて大阪南港からのパンスターフェリーに乗ってきたんやけど、心細くて、心細くてやな―。「一日ぐらい、釜山をゆっくり観光して」みたいなお気楽な事前の気持ちは消し飛んでしまうんやな。
はよ、テグに行こ。テグに行ったら、まゆ先輩もおるし。心強いしな。と思って、プサンからテグに直行したんやな。ほんで、またトンデグ駅近くの安いヨグァン(旅館)に泊まって、3泊するからまけてや、いうて。ほんまに急な決心でワーホリビザの入国期限が切れる前にとりあえず来たから、住む場所すら決まってないからですね、翌朝からあてもなく下宿探しや。大学近辺を「下宿生募集」の貼り紙を探してうろうろしてたら、その時に偶然、道でサンテさんに声をかけられて、なかよくなって(最初は怪しさ満載やったけど)、サンテさんの協力もあって、翌日、いっしょにコシウォンをさがして、テグ南区の地下鉄大明駅のちかく、コプチャン通りのすぐ近くの「春田孝試院」に住所を定めることになった。朝夕2食付きで一か月25万ウォン。これなら、月5万円の予算でもじゅうぶん生活できる。ほんで翌日、役所に外国人登録しに行き、指紋押捺して、住民カードもろて、「これでワイもテグ市民や」となってから、まゆ先輩にでんわをしたんやったかな。「つきましたー。テグでしばらく暮らします。よろしゅうー。せんぱい、いっぺんお会いできますかー。」
あんまり覚えてないけど、2003年の滞在中に、まゆ先輩には2、3回ぐらいは会ったように思うんやなあ。毎回ちいさな「ほうちゃん」がいっしょやったなあ。ほうちゃんは3さいぐらいやったんかな。ほうちゃんはあんましゃべることはなく、おとなしかったように思うけど、子どもにしかない元気さみたいなのがあって、かわいかったなあ。





