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三十七粒目『子どものころの日記』

ワイらきょうだいは、親のしつけで、子どものころ、小学校の低学年の時から、
毎日、日記を書くように習慣づけられていた気がする。

それで、「めんどくせえのー」と思いながらも、毎日、日記を書いていた。

その日記たちは今はどこに行ったのかわからないが、
親が捨ててなければ、実家の押し入れのすみの段ボールの中にでも、
古文書のようになって残っているかもしれない。

いつだったか、大人になってから、その子供のころの日記を読みかえしたことがあった。

「◎月◎日(木)はれ

今日はとんかつをたべました。
ころもがサクサクしていて、とてもおいしかったです。
キャベツの千切りはマヨネーズをかけて食べました。
市民レクリエーション大会の時にもらってきた、あじのもとのマヨネーズで、すっぱくなくて、おいしかったです。
おみそ汁も飲みました。おみそ汁にはおとうふとわかめとねぎが入っていました
ねぎはいらない。ふがすきです。」

「◎月×日(金)くもり

今日はおからでごはんを3ばいたべました。
おからはとてもおいしいです。
いまおねえちゃんがおならをしましたが、おならのおとは、
すんっ
という音でした。」

そんなふうに
「ごはんを食べておいしかった」
ということ、
おねえちゃんのおならのおとがおもしろかった、
などという他愛もないできごとが、
その日の特筆すべき出来事として、
堂々と、書かれていたのであった。

しかし、じつは、しあわせとは、
そういうこと、そういう「心の反応の仕方」なのかもしれない、
と思われてきた。

もし、私たちがおとなになって、
「月日が矢のようにはやく過ぎてこわい」
と思っているとしたら
それはもしかしたら、このような、
「ごはんを食べておいしかったです」などの、
生きていて、味わっているさまざまな出来事に
いつのまにか慣れてしまって、
感動しなくなっているからではないだろうか。

だから、わたくしも、ほんとうならば、

「きょうは、納豆そばをたべました。おいしかったです。
凍らせていたねぎをかけました。海苔はかけませんでした。
つるつるしていて、おいしかったです。
チューブのワサビもいれました。それがまた、おいしかったです。」

ということを、日記にしたためるぐらい、
毎日、毎瞬間、新鮮な気持ちで、
あなたは生きているんですかっ!?
ええっ!?
わたくしは!!
どうなんですかっ!?

と、自問するのである。

もっと、もっと、
いま生きていることのふしぎさと
ありがたさをかみしめて
たいせつに、たいせつに
生きていたいものだなあ
と、思うのであります。

ジョイ見てるか―٩(◜ᴗ◝ )وイェーィ

このネタ切れ感、どや!

2 件のコメント

  • 三日坊主界隈の私は日記には全く縁がないので、尊敬します👏

    ほんと毎日が過ぎるのが早いです。

    まあまあ幸せに生きている日々に感謝です

  • ネット検索した際の何かの動画広告だったかに、わたしの星座と血液型でどんなタイプなのかが書いてあった。あなたは、びっくりするほど○○です、と。その○○が動画なのではやくて見えないから何回かでやっと見れたーやったーと思うも束の間、あなたは、あなたは、、、びっくりするほど、

    自分にあま〜〜〜〜〜い!でした。

    余りにも言い当てられ過ぎて絶句してしまいました。

    わたしの周りはみんなストイックに生きているので、わたしは凄い浮いています。あま〜〜〜いので。でも、言葉で誰に言われるでもなく目で見るとストンと入ってきます。今日は、晩御飯エスケープしてしまいました。皆んなに、その辺にあるものを適当に食べて貰いました。自分にあま〜いので、簡単に済ませて貰う日もアリを有りにしてくれる家族に感謝です。ジョイ、そしてBよ、向こうの世界で聞いていますか?見ていますか?応援していてくださいね。明日は、お弁当作れるかなぁ。

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