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三十五粒目『自由な色』

よしもとみどりさんが

「日本の社会ではやりたいことをするのに、いちいちいいわけをしなきゃいけない」

といっていた。
同じようなことばを、何回か聞いた。
それから、よしもとみどりさんは、ニュージャージー州に留学に行って、美術のお仕事をされるようになった。

人は、ばらばらに、個性をもって生まれてくるから、
ぶつかるし、すべてのひとがおもいのままに生きられることはないだろう。
遠慮もするし、人それぞれ、きゅうくつだな、と、大なり小なり思いながら、生きる局面があるでしょう。

ワイは、幼いころから、かけっこが遅いことが、ひどくイヤであった。
かけっこが遅いことは、ほんとうにかっこ悪く、劣っているようなきがした。
学校でかけっこをするとなれば、
数日前から緊張してきて、当日は朝からおなかが痛くて、いや~な思いをしつづけていたものである。

高校生になって、体育の時間に、50メートル走があって、ホンマにいややなー、と思っていて、
同じく、ワイよりもっと短距離走が遅い、たていわくんが近くにいたから、
「いまから50メートル走かー、ほんとうに、いやでございますね」
ということを話しかけたら

「べつに。おれ、はしるのおそいけど、いやじゃないよ。なんでいやなん?」

とあっけらかんと言われて、

「うお・・・」

と、目からうろこがおちたというか、なんか感動したのを覚えている。


それと、「ネクラ」とか「くらい」いうことばがすごくいやで、
ワイはネクラではありませんっ!
という心意気で、ずっと生きていたような気がするのだが、
これも高校生の時、ふじながくんと初めて一緒に学校から帰っていたら
ふじながくんがこういった。

「おれねえ、一人でおるのが好きなんちゃー。
 みんなでわいわいするのは、にがてなんじゃー。
 ま、くらいって言われれば、それまでなんじゃけどね」

と、何とも「素直」な感じで、これもあっけらかん、としていて、
ワイは、なんか、はあー、と感動してしまった。
その夜、日記に書いたほどだ。

それだけ、なんか、自分では気づいていないけれど、
自分で自分を縛っている価値観があって、
世間はそういうものだと思い込んでいて、
それをサクッと、ふつうの顔をして逆行して生きている人をみると、
なんだか自由な、あ、これでいいんだ、という、すごいな、という、
一陣の風が吹き込んでくるような、さわやかなものを感じたのだと思う。


ワイは大学生になって、ホテルのレストランの朝食バイキングのアルバイトをした。
朝食、昼食、夜、とスタッフが入れ替わるので、人が多くて、
アルバイトたちは仲がよくて、大人数でよく飲み会をしていたのだが、
ワイはそういうのが苦手なので行かなかった。
ほかのみんなは飲み会が好きみたいで、
来いよ来いよと誘われて、やっぱり行かない、ということを繰り返していた。

あるとき、またそんな飲み会が企画されていて、
バイトの後輩の女性の、たきさんが、
「土曜日に、のみかいが、ありますねえ、わたなべさんはいきますか?」
と、にこにこ楽しそうな感じで話しかけてきたので

「ワイ、飲み会、すきじゃない。いかない。
 そんなになかよくもないのに、大人数で集まっても、たのしいと思えない。
 行くのなら、なかのいいトモダチと行きたいし、お酒もすきじゃないから、おいしいものたべたい」

といったら、

「わたしも!わたしもですうう!わたしもそうなんですうう!!!」

予想外の大賛成の反応で、なんか目がキラキラしているのにもびっくりしたのだけれど、
ワイが高校生の頃、たていわくんや、ふじながくんのことばに、解放されたように感じたことが
たきさんにも起こったのかもしれない。


愛と光にあふれた世界は平和でしあわせにちがいないが
変化がないし、進化がない。
それで、闇ができて、光はいろんな色に分かれた。

いろんな色に分かれたから、
色とりどりの世界になって、
ひとは、この世にばらばらな個として生まれた。

自分の色はたいせつにしておこう。
どんな色であれ、その色をよろこんでくれる人が、
この世のどこかにきっといる。

2 件のコメント

  • なんて素敵なお話なんでしょう。

    感動しました。

    友達はそんなつもりはなかったでしょうがワイさんは友達から学び、大学生になりそれを教える側に立ったのですね。

    素敵ですね。

    私の色はあまり大衆には好かれないけど、私は私の色を愛しているからそれでいいのです。

    私はワイさんの色が好きなので、ワイさんもワイさんの色を大切にしてあげてくださいね。

  • わたしも、昔から飲み会と名のつくものには積極的に参加しない方だった。だって、お酒飲まないんですから。いつも、オレンジジュースか烏龍茶を頼んで、運ばれてくるお料理を食べる専門でした。仲の良い友だちは、わたしが飲まないのを知っているので強要されることも無く気分良く過ごせるのですが、あまり知らない人達と行くと、お酒を注ぎ合うのが仲良しの第一歩みたいな感じあるでしょ?あれが好きでは無くて、大概注いでもらったお酒を一旦テーブルの上に置くというのがわたし流でした。それを快く思わない人とはそれきりでも平気でしたし、まずもって余り知らない人の集まる会には殆ど行きませんでした。でも、家ではグレープフルーツにお砂糖とブランデーをかけて食べてたんです。多分子どもの頃から。色んなお酒をのんで顔は赤くなるけれど、記憶が飛ぶこともへべれけになることもないけど、外では飲まないです。これがわたしのお酒のいろです。

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