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九十二粒目『夜のリアル世界鑑賞自由漫遊』

きょうは夜のリアル世界自由鑑賞漫遊にでかけたー。

都会じゃないので、人がいないし、明かりが少なくて、世界がよく見えない。
だから、昼の鑑賞漫遊よりも、内面というか、意識に目がむくなー。


写真をけっこうとったんやけど、半分ぐらい、撮れてなかった。おかしいな。

夜、歩いているとな、あの、
「ワイら、みんな、神さまの分身なんかもしれんな」
って、
そんな気がしてくるんやな。

意識があるって、なんか、それって、
神さまやん。
って、思えてくるんやな。

問題は、それが、みんな、個々ばらばらであるってことやな。
自我があって、ワイをワイと思っていること。
世界から、全体から、分離しているんやな。
それがこの世っていうことなんやろな。

神さま≒愛と光のかたまりが、
バラバラになって、自我を持っているのが、ワイであり、あなたであり、あの人や。

みたいな。

なので、意識あるものはみんなつながっている。
バラバラであること、バラバラで生きていることは、まぎれもない事実やけど
見えない部分では一体である。つながっている。
かみさま≒意識のもとで。
みたいな考えが、ときどき、
しっくりくる、
腹落ちするときがあるんやな。
一過性の気持ちかもしれないけどな。

そんなことを考えながら、山口市の、
人と5分に一回しかすれ違わない、
さみしい夜の街を歩いておったら、
なんと22時過ぎているのに、開いている小さなカフェがあるやんか。
山口なのに。

山口駅、これがまた小さい駅や、から、北に延びている、
いちおうメインの通り、これがまた、さみしい通りや、
に、あったんや。
周りにはお店もまばらで、
あかりのついている建物も少ない。
そんななか、ぽつんと、明かりがついていて、そこがカフェなんや。
けっこうおしゃれな感じや。
看板を見ると、土日は夜遅くまでやってるんやってー。

ワイ、その前に、ローソンでほうじ茶を買っていたから、
カフェには入ってみたかったけど、入らんかった。

それでな、しばらく歩いていると、
なんと!
もう一軒、カフェっていうか、今度はコーヒー豆売ってるところかな、
でも、小さなカフェと言ってもいいのかな。
そこでもお店が空いていて、コーヒーがテイクアウトできるみたいやねん。

ガラス越しに店内をのぞくと、カウンターの向こうに、店主さんらしき人のパーマの茶髪頭が見えたわ。
ひとりでなんか作業してるのかYOUTUB見てるのか、
いらっしゃったわー。

このカフェの写真は撮ったんやけど、ざんねん、撮れてなかったわー。

ワイ、知らないだけで、山口市の夜の街も、
こんなふうに、少ないけれど、ひとがいて、
動いているんやなー。

ぽつぽつと、居酒屋さんとか、焼肉屋さんとか、明かりがついていて、
なかにお客さんの姿が見えた。

ワイは、ほんとうに、身近なことも、いろんなことを、しらないよなー。
いままで、人付き合いを広げてこなかったような気がするけど、
気のせいじゃなくて、それは間違いない事実よなー。

でも、今夜は、不思議なことに、ワイ、夜の散歩しながら、
途中ですれ違う何人かに、
ふと、話しかけそうな気持になったんや。
あとちょっとで、なんか、話しかけそうやった。

あれ?って感じや。
なんだか背がのびている気分というか、
つぼみがついたというか、
さなぎになったというか、
このままもうちょっとしたら、
ワイ、けっこう、見知らぬ人に自然に話しかけられる能力が開花するのかもしれない、
という気がしてきた―。

これも、ある程度としを取った功徳であろうか。

知らない人でも気軽に話せるというのは、いいことやと思うんやなー。
気軽に話しかけて、とたんに仲よくなれる能力があれば、世のなかがよくなる気がする。
そう思う気持ちがあるっていうことは、
自分のなかにそういう種があって、芽がでる可能性もあるのではないかしら。
死ぬまでには花開くこともあるんじゃないかなー。

あのふたつのカフェがなくならないうちに、カフェラテのみにいこー。

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