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六十四粒目『入院③』

頭に穴をあける手術はなくなったけれど、
完治するまで入院生活は続くんや。

頭痛はずいぶん軽くなった。
けれど点滴治療は続けなあかんから
点滴のチューブに針で腕をつながれていて
ベッドから離れて自由に動き回ることができない。

ワイの容態がだいぶ落ち着いて
あとはゆっくり回復を待つのみ、となったので
母は退院の日を待たずに帰って行ったわ。

頭の痛みがなくなったのはよかったが、
そのぶん、ベッドで過ごす時間が退屈になった。

何もすることがない。
何もできない。
何もしないでいい。

そんな状態で、クリーム色の天井を眺めていて、時間が過ぎるのを待っている。
なんや、これー。
自由に動き回りたいなー。
ジョイはこんな気分やったんかなー。
楽しみなのはお食事だけや。

1991.11.19
と、ワイのベッドの枕もとに、入院した日付の書いた小さな白いプレートがついていて、
ふむ。これが、入院記念日や。
記憶しておくことにした。
ワイは短歌を作ったもんや。

老医者が 治ってもボクシングはできませんよと言ったから 11月19日は入院記念日

どや。

さて、じきに退院の日どりが決まった。
退院の2日前ぐらいかなあ、
ワイはついに点滴から解放された。

そうすると、もうベッドに寝てなんかいられないから、ワイは病院の館内をあちこち散歩するようになった。こうしてみると、けっこう年季の入った、古い建物や。

入院して初めて、病院の階段を上っていって、屋上に出てみた。
少し肌寒かった。初冬の、薄い雲が散らばる青空に、タオルがたくさん干してあって、風にはためいている。

屋上はぐるりと低い手すりで囲まれていて、眼下には雑多な守口市の街並みが広がっていた。
屋上の真ん中あたりには、色あせたパラソルと、粗末な丸いテーブルとパイプ椅子が数脚置いてあって、そこに、おなじ6人部屋の病室に入院している、赤バンダナと、ちょっと太った男の人と、もうひとり背の高いおじさんとがいて、おしゃべりをしていた。

「こんにちはー」「ああこんにちわー」とにこやかにあいさつを交わした。
ワイは守口市の街並みを眺めながら、風にあたっていた。
時刻は暮れかかりで、日が傾いてきて、だんだんオレンジ色を帯びてきた陽光が屋上を包んでいた。

ふと、先日病室で、「男だったら、強くなりたいから」と言ってしまったことを思い出した。
あれ、やっぱり、なんか失言やったなー。

男であろうが女であろうが、
「強くなりたい」と思うものもいれば、そう思わないものもいる。
生まれつき体が弱かったり、病気をしたり、大けがをしたりで、「強くなりたい」に価値を見出せない人もいる。

たのしそうな笑い声が聞こえてきて、目を向けると、同じ病室の三人が、けらけらと笑って話をしていた。

「きのうのさんまのあれけっさくやったなー」
「あれはおもろかったなー」

暖色のやわらかな陽光と、すこし肌寒い冬の訪れの感じと、ゆっくりと風になびくたくさんのタオル。古い校舎のような病院の屋上の感じと、大阪の下町の街並み。
そんなものと相まって、3人が笑いながら話している姿が、なんだかほんとうに、幸せそうな光景に見えたんや。

ワイ、大阪に出てきて、ボクシングを一生懸命やっていた。それまでちゃらんぽらんに生きてきたから、一生懸命に何かに打ち込んでいる、そんな自分が生まれ変わったようでもあり好きであった。
毎日ひとりで黙々と走っている自分が好きであった。
「なぐるのも、殴られるのも、イヤやー」と思いながら、なんで走っているのか疑問になることもありながら、危機感をもって、成長しようとして、そんな自分にほこりも感じていて、それだからこそ
「男だったら、強くなりたい」なんていう言葉が出たし、お医者に「ボクシングはできませんよ」と言われてナミダが出たりしていたんやけど、

「なんかワイ間違えてた」

と思ったなー。そのとき。

(つづく)


2 件のコメント

  • 無事退院の目処がついたんやね。身動き取れない入院生活はさぞかし不自由だったと思います。お母さんもどれだけ心配なさったことでしょう。そして退院出来るとわかった時はどれだけ安堵なさったことかと思います。親は子どもが元気でいてさえくれれば、それだけで幸せと思うのだと思います。

    入院のときはご飯が一番楽しみになりますよね。私は出産の時に入院しましたが、入院食は毎回和食中心で、白米がどんぶり鉢で山盛りだったのを覚えています。母乳の出を良くするためだったのかは?ですが、とにかく母乳を出すと凄くお腹が空くんです。出産は麻酔なしですが、最後の後処置で縫われてもその時は一切痛みを感じないのが不思議でした。それ以外の痛みが強いから縫われる痛みは痛みと感じないんです。当日からシャワーを浴びるのですが、それは流石に大変でした。シャワー室の予約は自分でしなきゃいけなくて、壁の手すりに捕まって這う様にして移動。時間が来たら又シャワー室に行き、お湯に混ざる血を見ながら縫合された箇所と子宮内部の痛み、母乳を出す時に吸われる痛みの三重苦に耐えながら、退院の日は笑顔で写真におさまるように写ってる姿を後から見た時に、皆んな大変な思いして産んだんだな、って。陣痛から始まるあの痛みは忘れられないです。

  • 最近のニュースでも見ました、若いプロボクサーが開頭手術の末亡くなったと、、、

    よかったですほんと

    奇跡です

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