Home / 今日の一粒 / 六十一粒目『学荘⑩』

六十一粒目『学荘⑩』

帰りのバスも人が多くてな―。
ワイ、あのバスで、座席に座れたんやったかなー。
頭痛がひどくて意識がもうろうとしとった。
で、バスが走ると、揺れますやんか。
その揺れで、どんどん気持ち悪くなってきてな―。
アカン、これ、吐く、吐きそう、、、、いうても胃の中にこれ以上吐くもんはないんやけど、
胃液が上がってきたのかなあ、吐きそうで、ああ、もうだめ、吐く。おわった、、、
と思った瞬間にバスが止まって、それで小休止できて、危機一髪、吐き気をこらえることができたわー。
赤信号に助けられたんやな―。ついてるなー。

それで、バス停からバスを降りて地を這うようにして学荘に帰り着いて、玄関に倒れとったら、
家主さんのおっちゃんと、奥さん、これ前にカレー作ってくれた奥さんやな、が心配そうに「わたなべくん、大丈夫か―」言うてな、それで、ボクシング部のカタギリさんは来てなかったと思うんやけど、
カタギリさんが、監督に連絡して、大阪学生ボクシング連盟のかかりつけの病院に連絡して、CTスキャンのできるその病院を予約手配してくれたということで、「いまからタクシーに乗っていくでえ」ってなったんや。
そのころはまだ、CTスキャンのある病院って少なくてな、予約して何週間と待ってからようやくCT撮ってもらえるような時代やったんや。
で、ワイはタクシーに積み込まれて、高速道路を走って、守口市の福徳医学会病院っていう病院に連れていかれたんや。
タクシーに一緒に乗って、病院まで来てくれた、家主のおっちゃんと、奥さんには、ほんとうにお世話になりました。タクシーのなかで、ありがとうございます、すみません、ぐらいは言うたと思うけど、
しゃべることすら、ままならんかった。とりあえず痛みと苦しみだけや。

そうして急患としてワイは病室に運ばれて、すぐにCT撮る部屋に連れていかれて、ベッドに寝かせられた。まな板の上のコイというか、どうにでもしてください、という感じで、頭の輪切りの写真を撮られた。

それから、おじいちゃんの病院の先生に呼ばれて、頭痛をこらえてやっとこさ椅子に座って、写真を見ながら説明を聞いた。

「左の脳が大きく腫れていて、そのぶん、まんなかの正中線が右にかなりずれています。こに大きく水が溜まっているのがみえて、こっち側にも少し水が溜まっています。この部分はすこし出血しています。脳挫傷で、すぐに入院が必要です。治療としては、まずは脳にたまった水を抜く必要がありますので、頭に穴をあけて、皮膚の下におなかにまで管を通します。これは、そこまで難しい手術ではありません。ですが、最近はよい薬が出ていて、点滴で薬を入れて、脳にたまった水を散らすということができるかもしれません。だから、まずはその点滴治療をしてみましょう。1週間様子を見て、薬の効果が見られないようなら、手術をしましょう。おそらく、もともと、あなたの頭の構造が、衝撃に弱かったという可能性が高いです。もし、点滴の薬が効いて、手術をしないで治ったとしても、今後、ボクシングはやめときなさい。」

そして看護婦さん(当時の呼び方使わせてもらいます)につれられて部屋を出ながら、ワイはぽろぽろ涙が出た。あのときは、ボクシングが好きで好きでしょうがなかったからなー。
あのアホの藤井が、「授業もさぼって、大学来て、ボクシングの練習だけして、家に帰ったら走って、風呂行って、めし食って、11時間も寝て、わたなべからボクシングとったらなんも残らへんな!」といっていたぐらい、なんか、それって大学生としては失格なんやけど、ボクシング中心の生活してたからなー。夏休みになって部活がOFFのときは、地元の「マサ伊藤ボクシングジム」に通っていたし。これからどんどん強くなって、何回も何回も試合して、はてはプロでも。。。と思い描いていたのに。

そして、ワイは廊下の公衆電話から、実家に電話した。
ワイ、ボクシングをしているなんて、家の人間に言っていなかったんや。
いまでこそ、ボクシングは結構、スポーツ扱いされてますでしょ。
当時は、もっとなんか、野蛮な、三度の飯より喧嘩好きみたいなやつがやるもの、というか、
裏の競技というか、もっと暴力的な、なんか危ない人らがやるものっていうイメージが強かったんや。

親からしたらたまったもんじゃないですよね。
大学で、まじめに勉強しとるものと、たぶん、思っていてくれたと思うんやけど、急に電話がかかってきて、なんか死にそうな声で、

「驚かせてごめんなんやけど、頭をけがしてなー、脳みそが腫れて、歩くかれんぐらい痛いんや。
それで、今から入院することになった」

「なんでそんなことになったん?」

「言ってなかったんやけど、ボクシングして」

「はああああ????なんでボクシングなんかしてんの??!!」

ほらね。だから秘密にしてたんやんかー。

ってなことでな、母親が新幹線に乗って、駆け付けてくれるこになったんやな。

ワイは、病室6人部屋の、入り口のほうのベッドに寝かされた。
もう、あたまが痛くて痛くて、尋常じゃない痛さやねん。
痛みのあまり幻覚を見ていて、ずーっと、うんうんうなっていたな―。

となりのベッドの人が

「しんどそー」

って心配そうに言ってたなー。
腕に針さされて、点滴につながれて。
看護婦さんに、おしりから痛み止めの座薬をいれられて。
それで多少は痛みが和らぐんやけど、
よなかにもういたくていたくて、ブザーならして、座薬を追加で入れてもらったの覚えてるな―。

痛みで幻覚を見てな、なんか、CDやねん。CDがずらーーッと、何十枚も何百枚も、
なんか円錐形の、色とりどりのポールが中空に浮かんでいて、そこにCDがずら―って、天に向かって何枚も何枚も並んでいる。

ワイ、意識もうろうとする中で、この痛みを何に例えよう、って考えてたな。
針山地獄っていうのがあったなー。針の山にはだしで座らされる地獄みたいなの、あれのほうがよっぽどましやー。っていうぐらいの苦痛やったなー。

この苦痛がもし、あと何日も何日も続いたのちに、なおるとして、なおった世界で、ワイはボクシングができず、そして片思いのあの子にも相手にされないのならば、それよりは、いっそここで殺してくれ、この痛みをここで終わらせて下さい、って思ったな―。

それぐらい苦痛で、一晩中、うんうんうなってた。
もちろん、何も食べれないしな。

そして翌日、母がやってきたんやな。
ありがたいよな。そして、ホンマ、ごめんな―。ごめんやでー。

(つづく)

2 件のコメント

  • いややー

    わいは大人になってまあまあ頻繁に頭痛に悩まされとるけど、、、

    これでもめっちゃしんどいし、酷い時はほんとに何も出来んくらい、痛いのに、

    それを軽くふた山さん山越える痛みってことでしょ?もうあかん。怖すぎる。

    そりゃ殺してくれってなりますわ。

    そんな中でごめんって言葉が出てくるのはわいさんの優しさですね。自分のことで精一杯のはずやのに、お母様のことを考えてらっしゃる。

    ワイやったら、「ええから、はよこい!」ですわ( ˇωˇ )

    わいさんは優しいなあ。

    すごいなあ。

  • にゃんたのオカンやったら、新幹線の中で行ったり来たり、涙ボロボロなってしまうやろなぁ。生きた心地せんかったと思うで。痛い程お母さんの気持ちわかるなぁ。変われるもんなら変わってあげたい、親ならそう思ったんちゃうかな。辛い痛みにホンマによく耐えたよ!生きててくれて、よかった!って縁した人たちは皆んな思ったと思う!

えいちゃん へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です