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四十一粒目『ワイとテグ②おじいちゃんの暗号』

ワイが小学校の何年生ぐらいのときやったか、おじいちゃんは入院してしまったんや。
父と母が山口市の赤十字病院に、よくお見舞いや、看病に行っていたけど、ワイは病院にお見舞いにいったことは一度もなかったなー。(いや、一回だけあったかな?)

おじいちゃんは80歳になっても、庭で薪割をしていて、
「あと十年は生きられる」
というのが口ぐせだったというから、
ワイらは軽く100歳までは元気でいてくれるように思っていたけれど、
90歳を過ぎて、何が原因だったのかなー、ワイは小さかったから覚えていないわ。
体が弱ってしまったんやなー。

それで、病院へのお見舞いから帰ってきた父や母の話を聞いて、おっじいちゃんの容態をうかがい知るばかりやったんやけど、ある時お父さんが、

「おじいちゃんが、うわごとを繰り返していた。」

というたんや。
その、おじいちゃんが、病床でくりかえし言っているといううわごと、
これ正確に記憶していないから違ってるかもしれないけど、
記憶をたぐり起こしてみると、こんなうわごとを言っていたというんや。

「いわや、いわや、いわや。あわや、あわや、あわや。」

それを聞いてやな、ワイ、その当時、推理小説が好きで、
江戸川乱歩の少年探偵団シリーズとか読みあさっていたころで、
近所のゆっくんと探偵ごっこもしていたし、
名探偵・明智小五郎にあこがれがあったからやなあ、

「いわや、いわや、いわや。あわや、あわや、あわや。
 !!!!!!!
 これは、おじいちゃんが、病床にあって、伝えたいことがあって、
 その、暗号だッ!」

と思ったんやな。

朝鮮からひそかに持ち帰って隠していた財宝のありかかもしれないし、
この世を去る間際に、どうしても伝えたい、言い残したこと。
その手掛かりとなる、重大なメッセージにちがいない。

それで、ワイは必死になって頭をひねって、

「いわや、いわや、いわや。あわや、あわや、あわや。」

に隠された暗号をいろいろ考えたてみたんやけど、
さっぱりわからんかったわ。

いま、大人になって考えてみたら、
ワイって、いろんな可能性を残しておきたいし、レッテルを貼るような言い方は避けたいし、
「絶対」とかの言い切る表現はなるべくしないように気をつけているような人間なんやけど、

「いわや、いわや、いわや。あわや、あわや、あわや。」

のうわごとで、おじいちゃんが、何かを言い残そうとしていた、という可能性はないですね。絶対。

意識もうろうとしたなかでのただのうわごとやんなー。

そして、ほどなく、おじいちゃんは亡くなってしまったんや。
ワイの身内で初めて人が亡くなったときかもしれないなー。
お葬式がすんで、火葬場に行って、父が火葬炉の火入れボタンを押して、ぐっと涙をこらえていた姿を思い出すなあ。
父親が泣く姿なんて想像できなかったし、その時も涙は見せなかったけれど、
子ども心になんか、いろいろ感じたわな。

でもワイはおじいちゃん好きやったで。
お父さんには、おじいちゃんはすごく厳しく怖かったんやでって聞いてるから、
こわい人なんやって思って接していたけど、
ワイらひ孫にはいちども怒ることはなかったな―。
しずかにやさしい目で見てくれていた記憶があるな。
ワイは、しわになった老人のおじいちゃんしか知らないけれど、
おじいちゃん、渡邉定吉さんにも、子どものときがあり、若い時があり、
ペルーに移民に行ったり、朝鮮に移民に行ったり、
波乱万丈、一生懸命、生きたんやな。
たまにしか会うことがなかったし、ワイにはお兄ちゃんがいて、お姉ちゃんがいて、それで三番目がワイやから、孫の中でもあんまり重要度が高くない存在やったかもしれんけど、
ワイがおじいちゃんを尊敬の目で見ていて、すきやったってこと、伝わっていたんかなー。
どんな気持ちでワイらひ孫のことを見てたんかなあ。
ワイ、おじいちゃんのまえでは、アカン孫やと思われたくなくて、せいいっぱい「礼儀正しくしよ」と思ってたな。
でもいっぺん、お正月にお雑煮をひっくり返してもーたな。
おこられなかったけどなー。
ごめんなさいって何回も言うたわー。

(つづく)

2 件のコメント

  • 口癖のように絶対とか使ってしまう自分に深く反省|柱|ヽ(・_・`)反省…

    定吉さん波乱万丈、椿唄🎸

    お雑煮ひっくり返しても怒らない定吉さんお優しい(*´ー`*人)

    きっと反省してるのが伝わったんですね

  • もうね、わたしの人生でホント”絶対”って何回言ってきたか!黒か白みたいなハッキリした考え方してきたな。その割に、自分自身は中途半端に生きてきたわ。今日、ある大学の総長さんの講演会に参加してきたけれど、何かあんまり歳も変わらないその人から流暢に出てくる言葉の数々が音符🎵🎶でも付けて飛び出して来てる位生き生きとしていて、それなりに心動かされたなぁ。専門分野は免疫学とアレルギーらしく、身近な内容に当てはめて、高校生やPTAの中年層にも分かりやすく噛み下してくれたのだけど、途中から分からんようになってきた。でも、ふと思い出したのは、医学部行きたかったなぁ!という事。理科と数学が無ければ受けれたかもな?なんて思った。母に言ったら「挑戦してみる?」と。冗談でも凄いことサラッと言ってのける母が頼もしくて。こういう囚われない思考の元で育ててもらってだんだなぁ!って改めて感謝する日でした。息子はあと2年したら受験生。医学部には全く興味がない。周りの友だちは殆どが医学部志望。よく流されずにいれるなぁと。みんなどんな未来が待ってるんだろう?

    ひいお爺ちゃん、等しく皆んなのこと可愛かったと思います。

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