ワイは韓国に一年間住んで、ことばを身につけたわけやけど、
ソウルに行く気はサラサラなくて、
「行くならテグや」
ときめていた。
もしくは、もっと田舎、知られていない土地がよかったな―。
「なんでテグや」
っていうことを、ちょっと書いてみようと思う。
これは幼少期にさかのぼるんや。
ワイにとって、同じく、ワイの兄弟にとって、
おじいちゃんは、一人だけなんや。
そしておじいちゃんは、
正確に言えばひいおじいちゃんなんやけど、
ワイらの住んでいた防府市からは、
30キロぐらい離れた、山口市の宮野上っていう山間農村に住んでいたから、
そんなに頻繁に会うことはなかった。
お正月とか、お盆とかに、お父さんの運転する車に乗って、会いに行くっていう感じやったから、合計しても、何十回も会ったってことはなかったと思う。
さて、いろいろ細かな思い出はあるんやけど、いったん省略するわな。
ワイが幼いころ父親から聞いた話では、おじいちゃんは朝鮮のテグというところで、リンゴ園や農園、養鶏場なんかを経営していて、娘さんが結婚式を挙げたときにはその地域の新聞に載った、ということやったから、きっと手広く、成功裏に、事業をしていたんやな。
それがお国が戦争に負けまして、すべての財産を没収されて、引き揚げ船に乗って山口に帰ってきた。
船に乗る前にも、手荷物検査があって、お金は見つかったらすべてとられてしまうから、おじいちゃんの発案で、巻きずしの中にお札を丸めて入れて、こっそり持ち帰ったって言っていたな―。
そうして何とか持って帰ってきたお金が当時のお金で一万円。
そのお金で、宮野に土地を買って、貧しい再出発となったそうや。
ワイの父の出生地は、戸籍では、日本国慶尚北道大邱、となっている。だから、「お父さんは朝鮮で生まれた」ってよく聞いてたなー。当時はなんのこっちゃ、意味が分かってなかったけどな。父は5歳の時に、おじいちゃんたち家族とともに、日本に帰ってきた。
さて、朝鮮にいたころの話として、父からこんな話を聞いた。
あるとき、幼い父と、父の妹が住んでいた家に、
大勢の大人が刃物をもって押しかけてきた。
おじいちゃんが、子どもたちと、女の人を、押し入れに隠れさせて、
長刀を手に取ると、
大丈夫じゃ、ここに隠れちょけ。
「おじいちゃんは、ただでは死なん」
といって、なぎなたをふるって、その暴漢どもを追い返した、という話やった。
それを聞いて、まだ小学低学年のワイは、なんか感動してしまってな―。
おじいちゃん、すごい、かっこいい、子どもたちを守るために、いのちをかけて戦った。
これはワイがおじいちゃんの伝記を書かねばならない、
とおもって、おえかき帳をひらいて、
「わたなべさだきち」
とタイトルを書いたものの、
いざ書こうとすると、どう書いてよいかわからなくて、すぐにあきらめた記憶があるな―。
でも感動は冷めやらず、翌日、小学校に行って、ともだちにその話をしたんやー。
それで、話のクライマックス、
ワイは話しながら、感動で、何なら声が小刻みに震えて、ナミダが出そうになっていたんやけど、
「おじいちゃんは、ただでは死なん!」
と言ったとたんに、
聞いていたとよしまくんが、弾かれたように爆笑したんよなー。
「ギャハハハハ!!!!
お、おじいちゃんはタダでは死なん!」
ワイ、びっくりしたー。
ワイって、話すのが下手なんやなあー。
って思ったな―。
(つづく)
2 件のコメント
韓国とはそんなルーツがあったんですね。知らなかったです。ひいお爺ちゃん、きっと嬉しかったやろうね。
箸が転がっただけで笑いたいお年頃ですから、、、
面白話だと思ったんでしょう。
ひいおじいさまが朝鮮で事業をしていたなんて知りませんでした💦