そうして「東門洞にいきたい」いうて、東門洞っていう町へ案内してもろたんやー。
大邱駅から歩いていける辺りなんやけど、そこら一帯が「日帝時代」には日本人街やったっていうんやな。
「ほら、これなんか日本家屋が残ってる」
ってミン先生が言って、みるとそこここに、黒い瓦屋根の日本家屋が残っていて、年数がたって古い家になっているけれど、補修したりして、いまも韓国人がすんでいるんやな。
ほんで、通りを歩いている「裸の大将」みたいに白いランニングシャツを着ておなかの出たおじさんを捕まえて、ミン先生が説明してくれて、ほんで、日本家屋の中を見せてもらったんや。
「ほら、この押し入れとか、日本の家でしょ」
といわれて、はあ、ホンマやな、これは見慣れた日本の家のつくりやな―。なるほど、ここに日本人街があって、日本人が暮らしていたんやなー。ということがしのばれた。
ほんで、裸の大将のおじさんは、つぶらな瞳で、にこにこしてええひとやったんやけど、もう一人、少し年配のおじさんがおったんや。こっちはちゃんと夏物の上着を着ていて、学のありそうな白髪のおじさんやった。この年配のおじさんは日本語ができてな、ワイは日本語でしゃべることができた。ワイのじいさんがむかしこの辺に住んでたんや、父もこの辺で生まれたんや、ということをはなすと、ホウ、そうなんやなー、いうてたわ。
ワイは内心、「ということはおまえは侵略者の孫やな。なにしにきよってん!」みたいに怒られやせんかという心配もあったんやが、そんなことはなかった。どちらかというと、「遠いところようきたなあ」みたいな感じで迎えられたわ。
ほんでも、「日本の若いもんは歴史のことなんも知らんのやな」とかばかにされるのはいやだったし、過去はともかくワイは未来に向けて、けんかしないで、困ったときはお互いさまで、助け合って、対等な友好関係をつくりたいんや、という姿勢で来ておるのや、というところを示したくもあった。
ほんで、「当時の日本人と朝鮮人の関係はどういうものやったんすかねえ」みたいなことを、さくっと聞いてみたわ。過去のことは、どう評価するかは別にして、まずはちゃんとありのままの事実を知りたいからな。
そしたらその学のありそうな年配のおじさんが、
「そうだねえ、大邱のこの辺りはむかしから肥沃な土地なんだけど、有名な詩人がいてね、ああ、この大邱の肥沃な見渡す限りのわれらの土地よ、いまはすべて日本人のものになってしまった、っていう詩をよんでいるよ」
みたいな話になったから、あ、やっぱりこれ、うらまれとるんかもしれんな。やっぱり。と思って、
「それは、ワイのじいさんも、ここで農園や果樹園を経営してたということですから、ワイのじいさんも、朝鮮の土地を奪ったということになるのでしょうから、なんか申し訳ない気が...」
というたらな、その年配のおじさんは、あわてて横に首を振ってな、
「いやいやいや!なにをいうてる!むかしのことは、あんたには何の関係もないよ。あんたがそんな申し訳ないとか思うことひとつもない!わたしら韓国人は今のことで精いっぱいなんだよ。今日の生活、明日の生活をしんぱいして、たいへんなんだよ。そんな昔のことで恨んだりなんかしてるひまはないの!ほんとうにね、わたしらは今とこれからを考えて生きてるんだから。あんた若いんだから過去のことは関係ないし、韓国人は今のことに一生懸命だよ。今を生きなきゃ。これからのことを考えるんだよ。」
っていわはったわ。
ほんで、裸の大将のおじさんと、学のある年配のおじさんと、ワイと、三人で一緒に写真を撮ったわー。
日本家屋を背景にして。みんな、いい笑顔で写ったで。
今が大事で、今日と明日の生活を一生懸命になって生きているもの同士。ようわからんが、今日こうして会えてよかったなってことで、われわれ、一枚の写真に納まったんやな。





