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百五十六粒目『まゆ先輩との再会⑧テグ1998年6月~大邱駅』

「クルマ!クルマ!」

ってミン先生は説明してたわ。
大邱百貨店のお店のひとに。
「クルマ!?」
ってお店の人はようわからんで、
「クルマ!クルマ!」
って身ぶり手ぶりで説明して、
それで、なんとか、キャリーカートのある売り場に案内してもろた。
その当時、韓国語でキャリーカートは、「クルマ」なんや。
とワイは理解した。

無事にキャリーカートを買うた。
荷物を背負わなくてよくなった。ラクになった。

そして次に、大邱駅に行った。
レトロな駅舎やった。
1905年につくられた古い駅舎がまだのこっていたんや。
ワイのじいさんが1910年にテグに来て、それから暮らしていたあいだは、ずっとこの駅があったんやな。
その次にワイがテグに行ったとき2003年には大邱駅はちょうど新駅舎が完成して、今のロッテ百貨店が入ったでっかいビルディング建て替わった。
だから、一度でも肉眼で見ることができて、よかったなーと思う。
(写真も撮ったと思うけど、焼いてしまった。)

それからワイは「東門洞」に連れて行ってくれ、といった。
「東門洞」はむかしの日本人街で、そこがワイの父の出生地なのであった。

古い駅舎が残っていた大邱、1998年、考えてみれば、そのころは本当にまだ、昭和チックな町やった。
たしか2000年代までは日本の大衆文化の輸入・放送が大きく制限されていて、韓国の放送で日本の歌は流してはいけないのだと聞いていた。道端の露店で日本の歌の入ったカセットテープを売っているのを何度か見かけた。
まさに「近くて遠い国」であって、ワイらは「韓国・朝鮮の人たちは日本に恨みをもっていて、日本語をしゃべっていたらなぐられる」とか、まるで小学生のころの「佐波小学校の校区に入ったら松崎小学校の子はなぐられる」みたいな話をきいていたものだし、「キーセン観光」みたいなことをしている日本の企業のおっさんたちはかげで「犬」とよばれて唾棄されている、とか聞いていた。聞きかじってきた歴史観では「反省史観」=日本の明治以降を帝国主義的な植民地政策として反省する=二度と戦争の悲惨を繰り返さない、という見方をワイも身につけていて、何のためなのかわからない殺し合いに参加させられたくないという思いもあったと思うが、だからこそ、これからワイらはアジア人同士なかよくして、偏見をなくして、争いのない平和な世のなかをつくってゆくのだ、ワイの訪韓もそういう流れの小さなひと粒なのである、という意識をもちながらの初めての韓国の訪問だったわけである。



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