昭和のトイレはべんじょ(便所)とよばれていた。
そうして、べんじょの壁は、全面がタイルなわけではなく、上の部分が土壁であることがよくあった。
ワイのおうちのおべんじょもそんなかんじで、
男性用べんきの容貌は、バーのカウンターの椅子みたいな、まるこいかたちであった。

ワタクシがようちえんじのころ。
ある日、おべんじょでおしっこをしていて
おしっこをしながら、ちん〇を上下左右に操っていた。
おしっこしながらち〇こを操縦するという行為、
これは、男の子ならだれもがやる。
もれなく本能にプログラミングされている。
そしてその日、ワイはすこしばかり気もちがハイになっていたのだろう。
いつもより激しくおち〇ちんを操縦したそのけっか、
べんきの外に、おしこをふりまいてしまった。
そうして、土壁に、おしっこのあとが、びしゃーって、ついた。
「あ、おこられる。」
これは見るからに、たいへんな失敗である。
そしたら案の定、そのあとでべんじょに行ったお母さんが
「かべに、おしっこかけたな!」
といっておこった。
「ひろあきかっ!なんでこんなことするんじゃ!」
と、かなり高いテンションでこられた。
ワイは、当時、家族から評されていた性根、
「すぐうそつく」「すぐいいわけする」
を発揮して、反射的に、
思いついた言いわけを主張した。
「だって、おちんち〇が、ものすごい、たっちょったんじゃ!
たっちょるから、下によう向けれんかったんじゃ!」
ひっしにそう言いわけしながら、
く、苦しい言いわけ~、と思っていた。
「やかましい!」
と、いっしゅうされるものと予想していた。
ところが、おかあさんはとたんに笑いだしてしまって、
おとうさんにワイの言いぶんを告げに行ったのだ。
そしたらおとうさんも笑いだして
「そうじゃね、おちんち〇が上をむいちょるときに、
むりやり下にむけたら、いたいもんね!」
と、肩を組んでくるかのような親愛なる共感をしめしてくれて、
壁におしっこをかけるという、大しったいをしたのにもかかわらず、
「それなら、しょうがない」となぜかゆるされて、それにとどまらず、
夫婦ニコニコ、なごやかな、ハッピーなふんいきが醸成されたのだった。
「なんかしらんが、おこられんかった。よかった。」
そのできごとは、幼きワイにとって、ワケのわからぬ奇妙な体験としてながく記憶にのこった。
(つづく)





