トヨタは山口県出身の、肩幅が広いのが特徴の顔がやたらとでかい男で、19歳の時に東京の私立大学の政治経済学部に合格して、東京で生活するようになった。
トヨタは「山口県出身なんて恥ずかしい」と思うことにした。
そして、東京人になりきろうとした。
だから、東京行きの新幹線に乗った瞬間から、トヨタは一切の山口弁を封印することに決めた。
そして、東京暮らしが始まった。
体にしみ込んだ山口弁ではあったが、気をつけていれば、出てくることはなかった。
もともと山口弁のイントネーションは標準語に近い。
また、トヨタが元来あまり口数が多くないことも、
うっかり山口弁が出てしまうリスクを下げた。
そうして1か月、2か月、3か月、と過ぎた。
トヨタはかんぺきに山口弁を避け、東京の言葉を使って過ごすことができていた。
トヨタのことばや口調から地方出身であることが露見したことは一度もなかった。
そうトヨタは確信していた。
あるとき、トヨタは大学の構内で、山口県出身であろう見知らぬやつが、
「○○っちゃあ~」とか山口弁まるだしでしゃべっていて、
「なんだよラムちゃんかよ」とかいって東京のやつに馬鹿にされている場面に遭遇して、
自分の顔から火が出るように熱く、赤くなるのを感じた。
「なんなんだよ、あいつは。山口弁を堂々と使っちゃってさ。はずかしいよ、はずかしい。」
あんな土人、死ねばいいのに、とトヨタはツバを吐き捨てながら思うのだった。
さて、トヨタはバイトも始めて、友達もすこしできた。
東京に来て1年が過ぎ、大学の2年生になった。
トヨタはおれは完全に東京人になったと自覚していた。
山口弁みたいな未開人の言葉は、すでにおれの体の中からきれいさっぱりなくなってしまった。
おれは内面から浄化され、さなぎが蝶になるように、あか抜けて、東京人になっちゃったよ、と思っていた。
山口という僻地で生まれ育ち、こびりついたアカというアカは、
きれいさっぱり、洗い流された。
おれは東京生まれの東京育ちと変わらない。
そう思うまでになった。
そうしてまた数か月が過ぎた、ある日のこと。
アルバイト先で、休憩時間になって、トヨタは休憩室のドアを開けた。
そこには、先に休憩していたバイトの後輩がふたりいて、
椅子に座ってテレビを見ていた。
入ってきたトヨタを見て、
「あ、トヨタさん、イスあいてますけど、すわります?」
と後輩のひとりが言った。
トヨタは、
「いいっす、いいっす。」
といった。
そしたら、シーンと、ものすごく静まり返った。
トヨタは「ひょっとしたら、うけるかも」と思っていたので、
「こんなに間髪いれずにダジャレが出てくるオレ、おもしろいかも」
と一瞬ときめいていたので、
恥ずかしくなったが、表情に出さずにいた。
トヨタは無口な男なのだ。
たまに、口をひらけば面白いことを言う。そんな、口数の少ないダンディな先輩。
それがトヨタだ。
と自分では思っていた。
そして、トヨタが所在なげにタバコを吸っていると、
後輩の一人が話しかけてきた。
「トヨタさんって、出身はどこなんっすか?」
「おれ?」
トヨタは不思議に思った。
はて?なんでこんなことを聞くのだろう。
おれは、一切、方言を使ったことはないし、
イントネーションも完璧なはずだ。
おれのしゃべり方で、地方出身者だと疑われるということは考えにくいが。
「なんで?」
とトヨタはジャケットの襟を直しながら聞いた。
「あ、なんか、たまに、聞きなれない言葉使うじゃないっすか」
は。はあ?
トヨタはびっくりして、たちまち冷や汗が出てきた。
そんなはずはないけど?えええ?わし、どこかで山口弁が出ちょるんか?
そんなわけねえんじゃが?何かの間違いじゃろう。
おれ、山口弁なんて、いっさい使ってないはずだぜ!
トヨタは引きつってくる顔を無理やり笑顔で隠しながら、
「えへへ?そ、そうかあ?気がついていないけど。おれ、どんな言葉使ってる?」
そしたら、後輩が、こういった。
「なんか、酒飲んだ時に、何回もいうんですけど、
『やれんのう~』
っていいますよ」
トヨタは恥ずかしくて恥ずかしくて、
「うひゃひゃひゃひゃひゃー」
と顔を真っ赤にして笑いました。
それがトヨタが生涯でいちばん思いっきり笑顔になった瞬間であったとさ。
(おわり)
2 件のコメント
「○○っちゃあ~」って言うのは知っていましたよー。「やれんのう」が山口弁というのは知らなかったなー。初めて「○○っちゃあ~」って聞いた時は、何て可愛い言葉なんやろ!って驚きと同時にその発信者とのギャップに衝撃を受けたなぁ。もう34年も前のことです。
そこまでなりきらなくても、、、
そこまで故郷を捨てなくとも、、、
とは思いますが、学生時代に異常に故郷を愛し、必要以上に山口弁を使う友人らに恥ずかしいやつ、と思ったことはあります。
ほどほどが1番。
でもラムちゃんみたいなのは可愛くてすき