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百四十粒目『最後の告白』

「あんた、ちょっと聞いてくれるかね。いままで、だれにも話したことがない話なんじゃが。」

と病院のベッドでばあさんがいった。
ばあさんは俳句を詠むひとであったが、子どもがなかった。

ワイは、ばあさんの姉妹の孫、続柄でいえば大甥にあたる。

ばあさんはちょっと口うるさいといわれて親族には敬遠されがちであった。早くに夫を亡くして長く一人暮らしをしていたことも原因かもしれないが、何かと周囲に意見を言わずにいられない性分と見られていた。
数年前から、足腰が弱ってきたこともあって、ケアハウスに入ってひとりでくらしていた。

ワイはばあさんとは子どものころに何度か夏休みに数日遊びに行っていた程度のつきあいであったが、幼いころに、なにかの件でに味方になってくれたという記憶があって
口うるさいとはおもうけれど、ばあさんがすきで、大人になってしばらくはほとんど顔を合わせることもなかったけれど、ばあさんがケアハウスに入ってからは、よく足を運ぶようになっていた。

はじめのころは、行くたびに、ながながと身の上話、家柄の自慢、説教が続き、辟易としていたものだが、
眼医者に連れていったり、歯医者に連れていったり、内科に連れていったりしているうちに
鉄の鎧をまとっていたようなばあさんも、ワイには少し気を許してくれるようになったと感じていた。
それでも、身の上話とぐちと説教の時間は変わらなかったが、前のようなとげとげしさは感じなくなっていた。

そんなある日、ばあさんは施設の段差で転倒してしまい、入院することになった。
歩くことができなくなると、みるみる体が弱っていった。

その日、ワイがお見舞いに行くと、ベッドの上でいつになく静かな顔でよこたわっていて、
すっきりとした顔で、「ああ、あんた、きたかね」といった。

そして、冒頭の言葉、

「あんた、ちょっと聞いてくれるかね。いままで、だれにも話したことがない話なんじゃが。」

その言葉のトーンから、なにか、たいせつな話をしたいのだろう、と感じた。

「なに、たいした話じゃないんじゃが。わたしももう、そんなに長くは生きられんじゃろうから。
だれかに話しておきたい。あんたには話してもええと思うんじゃ。家族じゃからねえ。」

「なんでもききますよ。」

と、ワイは安心させるように言った。
何の話やろ。
なにを話されても、落ち着いて、しっかり聞いて、受け入れよう。

「あんた―、人を見てね、その人の、イメージが浮かぶ、いうことはないかね。」

「イメージ?というと?」

「きれいな人を見たら、バラのお花のイメージが浮かんだり、そういうことがあるじゃろうがね。」

「ああ。犬に似てるなあ、とか。たまに、ありますかねえ。特徴のある人なら、そうですかねえ。」

「わたしはねえ、これ、はじめていうんじゃが。だれにもいうたことはないけど。」

とばあさんはその前置きをもういちど繰り返すと、

「おとこのひとをみるとねえ、みんな、おちん〇んに見えるんじゃなあ」

窓辺の机の上には花瓶があって、そよ風にかすかに花瓶のお花が揺れています、と、ありのままの事実を語るように、ばあさんはそういった。

「おとこのひとの顔を見ると、みんな、“アレ”が服を着ちょるように見えるんじゃなあ。擬人化された“アレ”のイメージが浮かぶんよねえ。ああ、このひとはこういう“アレ”じゃなあ、と。男の人の顔が“アレ”にみえてくるんじゃ。今まで、だれにも言うたことがないのよ。ひとに聞いてみたこともないから、ほかのひとがどうなんかはわからんけどじゃねえ。でも、そんな話聞いたことがないじゃろ。たぶん私だけじゃないかと思うちょるんじゃけどねえ。あんたは、そんなことないかね。」

「ないですねえ。おとこのひとだとぜんぶ、“アレ”にみえるんですか?」

「そうじゃねえ。みんな、顔見た瞬間に、ぱっと、“アレ”のイメージがうかぶよねえ。」

「はあー。顔がそう見えるんですか。」

「そうじゃねえ、その人の顔によって、イメージが思い浮かぶよねえ。この人はりっぱな太いあれじゃなあ、このひとは黒くて細いあれじゃなあ、とか、それぞれのあれが見えるねえ。」

「ぼくもですか?」

「そりゃ、あんたもじゃ。あんたも男じゃからねえ。あんたはねえ、しろうて、ほそうて、ホワイトアスパラガスのような、“アレ”じゃねえ。そのイメージじゃねえ。」

「ははあ!そうですか。女の人には、そんなことないんですか。」

「女の人はないねえ。きれいなひとをみれば、天使さまみたいじゃと思うし、ぶすなひとは、ゴリラみたいじゃなとか、思うことはあるけどねえ。女の人には特にないねえ。人によるねえ。」

「はあー。」

「だから、わたしは、ずっと、おかしゅうてねえ。だんなさまが、偉い人でしたでしょう?うちにはお客さまがようけいらっしゃって、政治家の先生とか、理事長さんとか、社長さんとか、まあようけ、お偉がたのおとこの人がおいでになりよっちゃったけど、まあ、上等な背広を着てねえ、立派なひげをたくわえて、きっちりなさって、えらそうにしちょってじゃったけど、みんな、わたしの目には“アレ”に見えちょるんじゃからねえ。“アレ”がネクタイをしちょるようにしか見えんかったよねえ。“アレ”がひげを生やして、ネクタイをして、威張っているようにしか見えんでねえ。なんとも滑稽じゃったねえ。どんなえらそうにしちょっちゃっても、たかが、“アレ”のくせに、ネクタイしちょる、と思うてねえ。おとこの人はみんなそう見えるからねえ。おち〇〇〇のくせに。いつもおもうっちゃねえ。これ、どういうことじゃろか。」

しらんがな。

とワイは思った。

この日の会話が、ばあさんとワイとの、最後の会話になった。

■きょうの庭掃除

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After

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