というわけで、次の日の朝になって、ひとりで市内バスに乗って大学方面にむかった。韓国はバスが充実しているし、運賃もやすいんや。待ち時間も少ない。今ではテグは地下鉄が便利で、モノレールまで走っているのだが、当時はテグ地下鉄の一号線が開通したばかりで、二号線がまもなく開通する、みたいな話やった。
市内バスに乗るにあたっては、前日にまゆ先輩から、どこから何番バスに乗るのかという情報のほかに、
「韓国のバスに乗った?日本とちがってびっくりだよ。ものすごい運転がアラいから。気をつけなよ。わたし、はじめて韓国のバスに乗ったときに、急発信してバスの一番前から一番後ろまでごろごろ転がっていったよ。乗ったらぜったいに手すりをしっかりつかんでね。」
との情報を得ていたが、噂通りにバスは暴れ馬みたいにやってきて、バス停からかなり離れたところに止まった。バスに乗って、教わった通りにしっかり手すりをつかんでいたけれど、聞きしに勝る暴れ馬で、「うおおおおお」と、なんか遊園地の激しいマシンに乗っているみたいで、まゆ先輩がゴロゴロ転がっている様子が目に浮かぶようであった。
途中で、おばあさんに席をゆずったら、おばあさんがワイのリュックを奪いとって、おばあさんの膝の上にのせて、にっこりわらった。これはそれ以降、韓国でバスに乗ると何度も目にする光景であったが、「席を譲ってくれたから、その代わり、立っているあなたの荷物を持ってあげる」というやりとりなのである。こういう「文化」は、今の韓国でも残っているのかわからないが、今はなくなっているのではないかと思うが、当時、ワイはかんこくのよい部分であると思った。「知らぬ人を見たら泥棒と思え」、いう感じよりも、「見知らぬ人でもええひと前提で助けあう」みたいな感じに思えて、よいな、と思ったのである。
それから、なんか窓際の席に座っていた若い女の子が、帽子を落としたのかなにがあったのか思い出せないが、ちょっとした失敗をして、ちょっとはずかしい場面になって、「てへぺろ」みたいなことがあったのだが、そのときにほんまに舌をペロッと出して、顔を赤らめて、はにかんだ表情をしたのであった。「なんやそれ!」と思ったが、ほんまにベロ出して恥ずかしいことを表現するんや、と思って、そのような女子の「てへぺろ」しぐさはそののちにも何度か目撃することになるが、それもなんだか、カルチャーギャップを感じて、「よい」と思ったことであった。
そうしてバスを降りて、まゆ先輩と会って、なんかよくわからないが、謎のシジャン(市場)をあるいた。シジャンとは、ようするに露店がいっぱい並んでいて、いろんなもの売ってる通りである。どんなものを売っていたのか、全く覚えてないけど、ひとつだけ、「タッコッチ」を食べたのは覚えてる。ばか長い竹串に、鶏肉がいくつか差して焼いてある、ジャンボ焼き鳥みたいな串焼きで、「あれたべたい」といって、一本買って半分こして食べたきがするわー。
そして、そろそろ時間や、となって、ほな、お互い、がんばろな、いうて、握手した。
なんとさわやかな光景なのでしょうか。それでおわかれや。ばいばーい。
ワイはバスに乗って帰って市内でミン先生と会ったんやったかな、覚えてないけど、その日の午後はミン先生の通訳付きでテグの市内を案内してもらった。
ミン先生に会ったとき、
「午前中はバスに乗って大学に行って、まゆさんにシジャンを案内してもろた!」
というたら、ミン先生は、
「むむむ!あのこは課題の締め切りで忙しいのに。あんたにええかっこしたかったんやろな!」いうて、なんか、ごきげんななめやったわ。
で、ワイは、重いリュックを背負って移動するのが体力的にきつくて、
「キャリーカートみたいなのが買いたい。」
いうたんや。それで、まずはミン先生に「大邱百貨店」に連れて行ってもらった。
百五十五粒目『まゆ先輩との再会⑦テグ1998年6月~市内バスとシジャン』





