百三十二粒目『ちゃんと見ること、見ないこと』

むかし「あかりちゃん」というアイドルがおってな。

みかん色のジャンパーを着て
「みかんはなぜいたい？」
というヒット曲を歌う姿が、当時テレビでよく流れとったもんや。

ワイは中学生ぐらいやったかな。
ひそかに、あかりちゃんのファンやった。
あかりちゃんは山口県出身ということだったから
それで親近感がわいていたところもあるかなー。

ある日、あかりちゃんの夢をみたんや。
ワイが天満宮の、本殿の前、おおきな賽銭箱の前を散歩していたら、
あかりちゃんがいるんや。
なぜか振袖を着ていてな、
この世のものとは思えない透明感で、
からだ全体が透き通っているんやな。

それで、ものがなしそうな表情で、ワイの前に立つと、
「逃げてきてた」
ていうんやな。

ワイはなんか、あかりちゃんの幼馴染の設定なんや。

あかりちゃんはこういうんや。

「あたしはねえ、つかれたの。
みんなね、あたしをちゃんと見ていない。
見ていないから、あたしを好きなの。
あたしをかわいいといって、あたしに夢中なの。
でも、それはあたしをちゃんと見ていないからなの。
それはあたしじゃないの。
だから、つかれて、逃げてきた」

あかりちゃんとワイは適度な間を開けて、
石段にしゃがんでみこんで話をしているんやけど、
なんかペーパーカップの温かい飲み物を手に持っていて、
カップから湯気が出ていて、
あかりちゃんの口元をただよっている。

ワイはなんか幸せな気分やったなー。

「あたし、こんな子じゃないじゃろ？
でもね、みんなね、あたしをちゃんと見ちょらんから
あたしがかわゆうみえたりね、
天使みたいに思うちょるんよ。
でも、ええことばっかりでもないんよ、
わるうもいわれる。ぶちわりいこともいわれる。
みんな、あたしを、ちゃんと見ちょらんのにね。」

ワイはずっとだまって聞いていて、
あかりちゃんはすっと立ち上がった。

「この世のね、あらそいとか、人と人とのほら、けんかとかね、
それはぜんぶ、相手をちゃんと見ちょらんからと思うんよ。
それが原因じゃないかと思うんちゃ。
相手をちゃんと見ること。
それができたら、世のなかから、けんかがなくなると思う。
戦争が起きる原因も結局はそれじゃと思う」

ワイは黙ってあかりちゃんをみていた。
あかりちゃんはまた、ふわっと音もたてずに石段に腰を下ろした。
そしてペーパーカップの温かい飲み物を一口飲むと、

「でもね、ちゃんと見てないからこそね、
想像がひろがるんよね。
翼が広がる。もっと遠くに飛んでいけるんよ。
幻想の世界で、遊べるんよ。酔えるんよ。
それはきっと、ことばでは表せない、感じ。
きれい。透き通った世界。
それを感じられることが、もしかしたら、もうひとつの大切なことかもしれない。
あたしもね、ちゃんと見られていないから、
ある人たちは、あたしに天使のようなものをみている。
それは、たいせつなことかもしれないのね。
天使はね、ちゃんと見られたら、壊れるものなんよ。
見ることは、さわることで、
さわることは、傷つけること、壊すこと。
だから、見ないことで守ろうとするし
見せないことで、あたしはアイドルをする。」

でも、つかれた。

という顔をして、あかりちゃんはふんわりと、
ワイとの距離を少し縮めて、すわりなおした。
肩が触れそうな距離になり、ワイは、いやっほうー、とこころの中で歓声を上げたと同時に、
ぱっと、目が覚めた。

夢か。

「ちきしょー！！！！！！！」

布団の上で大声を上げた。
なんで目を覚ましたんやー。
もうしこしながく夢見ていたかったー。

そして、何年かたち、何かのはずみで、
あかりちゃんの結婚のニュースを聞いた。
ワイの心がぴしりと音を立てた。

ああ、ワイは、あかりちゃんを、ちゃんと見ていなかったからやな。
と思った。

みかん色のジャンパーを着たあかりちゃんは間違いなく天使であった。