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百四十六粒目『ぽんてりよ永久に』

なまものの犬や猫はしんでしまう。
しんでしまうと、いなくなる。

しかし、ぬいぐるみは、なまものではないから
すてなければ、けっこういつまでも、いる。

このこは「ぽんてり」


かわいくて
これまですてられなかったのだが
きょう

「万物は流転するのだから
すてよう」

とおもった。

そして、すてることで
このこは永久に生きるのだ、とおもわれた。


このこを店さきで見つけて、衝動買いしたのは、いつだったか。
ワイのさいぼうがもっとみずみずしかったころだ。
ワイのすみかにいつづけて、もう20年~30年になる。

わいは当時、大阪の「とんなま」っていう地域に住んでいて
たぶん、心斎橋付近のおみせで
このこをみつけた。

おみせでは

「くたくたテリア」

というなまえで売られていた。


この「くたくたテリア」を連れて
いりちゃん(男性である)と居酒屋に行ったときに
いりちゃんに半笑いで

「なまえはなんや?」

ときかれ、
「なんかおもろいなまえ言うたろ」
と思ったが、とっさに思いつかずに、

「ぽ、ぽんさくテリア・・・。」

とこたえたのだった。
それが案外、ウケた。

それで、この子のなまえは、ポンサクテリア、
略してぽんてりとなったのだった

それから、大阪から山口へ引っこしもしたし
大そうじも何度もしたし
なんどもすてるか迷うときがあったが
毎回このこは生き残った。

すてるには、あまりにもかわいかったのだ。


しかし、かたちあるもの、いつかこわれる、という。
いつまでも、ぽんてりを、もってはいられない。

なまものであれば、もっとはやくに別れがくる。
チャーミーも、ふくちゃんも、他界したのである。

そして、チャーミーも、ふくちゃんも、
いっしょに生きたわいらのこころに生きていて
たぶん、かれらを構成していた原子や分子は、このせかいに散在しているのであろう。

そうおもえば、いつでもあえる、といえなくもないか。

というわけで、ほんじつをもって、
ぽんてりと、さよならや。


さよならだけがじんせいなんてと、
松崎しげるさんがうたっていたけれど
ぬいぐるみではあっても
二度と会えないのだな、と思うと
胸がぐーっとなりもする。

きちんとさよならすること。

出会いがまっている。

1件のコメント

  • 本当に引越しできてハッピーな人
    返信

    更新待ってました( ´•̥̥̥ω•̥̥̥`)
    ポンテリかわいい
    ぬいぐるみを捨てられない気持ち分かります( ˇωˇ )
    今日死ぬほどお別れしてきましたが…
    雛人形に命が宿るとか日本人形の髪が伸びたとか藁人形とかひとりかくれんぼとか、そんな怖い話を聞かされた世代なので、どこかで頭の中にあるんですよね
    私も中学生の頃父にUFOキャッチャーで取ってもらったぬいぐるみを抱えてずっと生きています。

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