■このサイト(ページ)について。 

このページは
「となりの異国となかよくしてゆくあなたとともに歩むストア」

にゃんたろうず NiYANTA-ROSE!
https://store.shopping.yahoo.co.jp/niyantarose/

のサテライトページです。

ストアでは、
韓国(一部は台湾、中国)からの輸入本、まんが、コミックグッズなどを
「日本一たくさん紹介。日本一たいせつにお届け」
を目指して運営しております。

ほぼほぼ毎日更新される
新着の商品情報は、Xでチェック!

https://1link.jp/niyantarose

本をあいする、まんがをあいする、
日々のくらしをたいせつにする、
若きスタッフたちが、
まいにち情報をさがして、
みなさまのお問い合わせにおこたえし、
たいせつに梱包して、
あなたさまへお届けいたします。

商品のリクエストやご質問は
ストアのお問い合わせページからお願いします

https://talk.shopping.yahoo.co.jp/contact/niyantarose

【ふくちゃん】



いぬも
ねこも
ひとも

どこからきて
どうして
ここにいるのか

よくわからないけれど
生きている

あなたさまとおなじく
わたくしことワイ(にゃんたろうず親方)も
気がついたら
この世にあらわれていて

そして
「にゃんた」
とよばれたりして
生きてまいりました

生きてこられたのは
よくわからないけれど
いろんなものの「おかげ」といえましょう

ひかりや空気や水や土やたべものや
そして
おなじこの世にいきている
ひとや
いぬや
ねこや
なかまたち
すきなだれかが
すきななにかが
この世にいて
この世にあって
それらのおかげで
さみしくてしんでしまうこともなく
生きてこられたのだと
おもうところなのであります

そして数十年を生きたわたくしは
「韓国の絵ほんを売るおみせ」


をはじめることになりました

多読学習支援。韓国語の古本一冊プレゼント。お一人さま一冊です。
こんなことも企画しました。

このサイト(ページ)は
もともとは
お店をはじめたときの気もちをお伝えしたくて
つくりました

2003年に、わたくし
韓国テグに一年間くらすこととなりました

そこで出会った人たちと
いっしょに時間をすごしました

国境の向こうでも
ひとがいきていて
くらしていて
いぬも、ねこもいました

帰国してから何年ものちになって
このお店をはじめたのは
もちろんお商売ですから
「お金もうけ」の動機もありましたが
「お金にならなくてもやる」
という気持ちがありました。

それは
わたくしが見てきた、つきあってきた
「となりの国」というのは
そのころ、日本全国の書店でよく売れていた本にかかれている
「韓国」からは
大きく、はみ出す部分があったからです。

そのかんじは、よく言われる言いかたでいえば
「国籍ではなく、人だ」
というかんじ、と申しましょうか。

「となりの国」とは、とりわけ交流するひつようのない人もいるでしょうし
むりして仲よくすることもないでしょう。

けれど
おそらくすべての人に言えることは
あなたに似たひとや、あなたが好きになってしまうようなひとが、
国境の向こう、異なったありようの社会のなかで、
いま、暮らしているかもしれない、ということです。

その実感をお伝えしたくて、
「となりの国」が語られるときに思い浮かぶイメージが、
歴史や文化や政治や美術や芸能であるのもよいし、
わるいイメージ、いいイメージ、いろいろあるとしても、
まずは、ひと、ひとびとの暮らし、であること。
いろんな人がいて、暮らしていること。
また、いぬやねこのことも。
そんな思いがあって、
韓国のいろんな本を紹介する本を売るお店をはじめました。

まずは、えほんや子どもの本ばっかり、たくさん紹介しました。
それは、だれもがはじめは子どもだったのだし
(おとなも、「ベテランの子ども」というだけで、子どもだといえるかもしれない)

「たくさん読んでなれよう」
という「多読学習法」を、わたくしが心底、推していたからでもあります。

そして、当時のお客さんのなかには

「韓国の雑誌を買ったと家族にバレたら馬鹿にされるから、絶対に中身がわからないようにしてください」

みたいなコメントをなさるお客さんがチラホラいらっしゃいました。
だから、私たちは、

「お客さまのお求めになられた本は、
たいせつな本ですよ」

とお伝えしながら、お届けしたいとおもいました。

そんなきもちで、本にリボンをかけたり、シールをつけたり、
ミニカードを添えたりして、本をお送りすることにしました。
最近になって、グッズの扱いがふえてきますと
「シール類は貼らないでください」
とのごようぼうをいただくことがありますから、
グッズの袋などに直接シールを貼らないように、気をつけております。
ごようぼうをいただけるのは、ありがたいことですね。

それからもうひとつ
わたくし自身の思いとして
どうにかこうにか、母国語以外のことば、
「韓国語」ができるようになったことで
「よいことしかなかったなー」
と思えているからです。

だからもし、
おなじように、どこかで
となりの国の
だれかと出会って、こころがうごいて

「あのひとの話すことばがわかるようになりたいな」

という思いが芽生えた人がいたら
その思いが、すこやかに
やがて、おおきな木にまで育ってゆくように
自分なりのやり方で応援できれば、と思いました。

それで
「多読学習」推しのわたくしとしては
「韓国語の古本、最初の1冊無料プレゼント」
をはじめました。

そんな思いもありながら始められたストア
「にゃんたろうず NiYANTA-ROSE!」
のホームページ&ブログとして

「となりの異国と、いろんなひと、自分に似たひとと、くらしを通してつきあうこと」

「生きたことばにたくさん触れて学習していくこと」

「韓国のすてきな本のご紹介」

をテーマに
2016年に、このサイトはオープンしました

これがネットストア「にゃんたろうず 古民家事務所」の外観や。2016年ごろ。

これは2016年ごろの家のなか。なつかしい。

そして、あれから日が過ぎて10年。

いまは、まいにち平均1500人ぐらいのお客さまがストアを見に来てくださっていて、
えほんよりも、まんがやグッズのほうでよろこんでいただけることが多くなっています。

この間、ワイらのお店も、ミジンコぐらいの貢献はできたかもしれませんが、

「となりの異国と、いろんなひと、自分に似たひとと、くらしを通してつきあうこと」

「異国のことばを、すきな本や、コンテンツを通して、生きたことばをたくさんたくさん読んで、聞いて、なれていくこと」

この開店当初のわたくしの思いは、10年前と比べたら、はるかにやりやすくなりました。
そのため、このページにかいていた「もう役割をおえた」と思われる記事は、ごっそり削除しました。

記事にいただいていたコメントも消えてしまいましたが、
文章を通して、思いがつながる点があり、やりとりできましたこと、ありがたく思っています。


さて、そのようなわけで
2025年6月以降は、このページは趣をかえて更新してまいります。

にゃんたろうずのストアのほうでは、
本をあいする、わかいスタッフたちが主力になって、
日本一、輸入本やグッズを安心してお買いものできるお店をめざします。

そしてこちらのページでは、
ストアとは別のことをしよう。
「にゃんたろうず」のストアを始めたときの思いの
さらに、その前からの、もう一段、底にある思いにたちかえりまして

また
会社名としてつかっている
「ロゴスの力」
の思いに立ちかえりまして
わたくしことワイが、しゃしゃり出てきてですね、
「文芸」
を書きちらすページとして、再スタートしてみます。

こっそりとやっていきますので
よんでくださる人もあまりいない想定ですが
わたくしの「底にあるおもい」について
はじめに書きとめておきます。

おさないころの個人的な経験にさかのぼりますが
書きてである
ワイこと「にゃんた」の
「大問題」
について。

8歳のある日
そのときから
「大問題」
と背中あわせで生きてきた
というおもいがあります。

その「大問題」とは


ワイことワタクシは
8さいのときに、ないたのでした

のどもさけよ!
というぐらいにおお泣きした。

なんでそんなにないたか?
というと

「なんで生きているのか
ぼくは
なんでここにいるのか
わからない
このぼくという意識はなんじゃ?
こわい」

といってないた。

そのころの時代背景をかんたんにいっておくと
「もはや戦後ではない」
といわれてだしてから20年以上はたった昭和の時代でした。
8歳のワイことにゃんたはホーフシっていう小さな町に暮らしていて
駅通りにある本やさんで
近所のなかよしのゆっくんといっしょに
『ドラえもん』
とか
『エコエコアザラク』
とかのまんがを
立ちよみするのがたのしみの一つだった

そしてその日も松谷書店で立ちよみをしていて
ゆっくんのすすめで
ある雑誌をよんだ

二年後に
「惑星直列」になって
地球ぜんたいに、ものすごい大災害がおこり
ひとりのこらずしぬ

というようなことが
かいてあった

それで
8歳のワイことにゃんたは
夕方におうちにかえって
おフロにはいって
ちいさなおち〇ちんとちいさなきん〇まふたつをぶらさげて
(もしかしたらこの描写はふひつようだったかもしれない)
あたまを洗っていたのだが

2年後に
みんなしぬ

ことについて
かんがえた。

あと二年で
みんなしぬ

あと二年

みんなしぬ

・・・

そしたら
「はっ!」
て気づいてもうたんや

「え?
 ワイって、なに?」

って気づいて
ものすごいこわくて
こわくなっちゃってえええ
なくしかなかったんや。
甲子園のサイレンにも負けない音量で

「ただいまより
勝ちました
箕島高校の、栄誉をたたえ
どうこうの、校歌をせいしょうし
校旗の、けいようを行います」

というアナウンスがきこえてくるぐらいの音量で
なきさけびました

父親がびっくりして風呂場にかけつけてきて
「どうした!?」
そのとき
なんてこたえたっけな、ワイ
「しぬのがこわい」
といったようなきがするなー

そのときからやー
ワイはずーっと
こわかったんやなあ。
なんやこれー
自分という意識があって
ここにいること
生きていることが
わからなくて
いつかしぬのに
いきてるってなんや
こわくて
こわくて
間欠泉のように
その考えがおそってくるとき
気がくるってしまいそうなほど
さみしくて不安でこわかったんやなー

中学生になって
「あ、このひと、同じことを思ったひとや」
と、ブレーズ・パスカルの著作
『パンセ』
の一節をよんだときに
「みつけた!ここにおった!」
っておもった。

「この無限の空間の永遠の沈黙は私を恐怖させる」

ああ、あのことが、かかれている。
パスカル。このひとも、おなじ気持ちになったんやなー。パスカルだいすきや。
それいらい、ときどき、
17世紀のフランスに生きたというパスカルのことが頭をよぎる。

『パンセ』のなかに
こんな一節があって

「われわれは絶壁が見えないようにするために
何か目をさえぎるものを前方においた後
安心して絶壁のほうへ走っているのである」

これがまさにじぶんの生きている姿だと思えたなー
大問題を見ないようにして、先送りにして、生きている。
そして、みんなもきっとおんなじなんや―って思っていた。

ワイの「大問題」に同じく直面していた、ブレーズ・パスカル。
そして、パスカルは、パスカルなりの「大問題」への答えをみつけていたんや。

それは、キリスト教の信仰やった。
ジャンセニスムっていう、厳格な教派やったみたいや。
その信仰心に目覚めて、かれはこの大問題をかいけつした、とされている。

でも、その解決はわいの答えにはならんかったんやなー。

しかも、パスカルの臨終間際のことばとして残っているのが

「Que je ne sois pas abandonné de Dieu.
神が私を見捨てたまわざらんことを」

ワイ、思ったんやな。
それ、解決してないんちゃうんか。
なあ。パスカルやー。
やすらかに眠りにつくひとのことばなのかな、それ。

パスカルは、39歳で亡くなってしまったからなー
もっとながく生きていたら、もっとちがう答えに行きついた可能性もあるんちゃうかなー

そしてなんやかんやありながら
月日は流れていくもんやー
ワイはいつしかパスカルの享年39さいを超えて
当年とって何歳になるんかなー
(ガーシーさんと同じ年なんやなー)

さて、ワイの、8歳の時から棚上げしてきた「大問題」
その答えが、最近になって
「ああ、そいうことやんなー」
と、漠然としたものながら
ちょっと、腑に落ちてきはじめたような気がする時がある

そんな気がしながら
この「大問題」へのかいけつを
どこかで意識しながら
これから、ぼちぼち書いていきますので
これからさきの記事は
『にゃんたのパンセ』や!
とひそかにカッコつけてもいいでしょうか。
そんなワイを笑ってくれ。

8歳のワイみたいに
こわかったり、かなしかったり
不安だったり、おお泣きしたり
いや~なきもちになって、
なんで生きてるのかわからへんっていうだれかが
このページの書きものをよんだとき
すこし気持ちがなぐさめられたり、やすらぎをかんじられたり
すこし元気がでたり
そんなものを書きとめていきたいと思うけれど
そんなものがかけるかどうかいまいちわからん

いまのワイにとっては
聖書も、仏教も、
だいじょうぶやでえって
言ってくれてるもんのように思えてる。

ワイが小学生の高学年ぐらいのときやったかなー
まだ毛がはえていなかったころや
おばあちゃんが病床に臥しててな
ワイ、おばあちゃんがまもなくしんでしまうと思って
ひとりでおばあちゃんの枕もとにながいあいだすわっておったんや
そしたら、子どものワイにむかってな
「ひろちゃん、あんたはまだ小さいからわからんかもしれんけど
信仰心というのはね、人間にとって、とてもだいじなものよ」
っておばちゃんいってたなー
どういうことかわからんかったけど
年老いて病床にあって
おばあちゃんが人生で感じとっていたなにかを
そのことばで孫に伝えたかったってことは伝わったな
ワイ、ようわからんまま神妙にうなずいてたわー
あのときのおばあちゃんのことばがどういう思いやったのか
いま、何となくわかる気がするのよなー

たぶんやけどな
信仰心がだいじっていうのは
大丈夫やでって
言ってくれるからなんやな。
大丈夫なんやで―って思えること。

生きていて、だいじょうぶやで
死んだって、だいじょうぶやでって。
なにがあってもだいじょうぶやねんでって。

ワイ、ずっと、そんな考え方、なんやそれっておもってた。
だいじょうぶなことあるかい、直視せんかい、危機感もたんかい、って。
でも、いまはなんか、どこか腑に落ちるんや
大丈夫やでって
そう思えることが、ひとには必要なんやな

「大丈夫や」って、思えないひとがいるでしょう?
いまもむかしも、古今東西ね。
ていどの差こそあれ、つらくて、こわくて、しんどくて、不安で、くたびれて
たくさんの人が、そんなきもちで生きていると思うんやな。
でも、そんな、しんどい、こわい、不安やって思って、生きているだれかが
ああ、大丈夫なんやなって
そう、こころから思えるようになれるなら
そんな心にたどりつけることばや祈りがあるとすれば
それはすくいになる。そうおもう。

「量は質に転化する」
と、もうしますでしょう?

毎日毎日、何かしらを書きちらかし続けていれば
少しずつ、何か、積み上げられていくでしょう?
いずれ、「かくへん」するとき、「化ける」ときがくるんちゃうか?
ワイ、ひょっとしたら、「よいはなし」のかき手になれるかもーって
こんきょのない、あわい思いが、いま、ないこともないから
その思いがあるうちは
ぼちぼちかいていきますね

2016.08.30

書き直し 2017.07.13
書き直し 2018.02.18
書き直し 2018.11.21
書き直し 2019.03.13
書き直し 2019.05.19
書き直し 2019.10.07

書き直し 2019.12.20
書き直し 2020.10.16
書き直し 2022.01.28

書き直し 2025.06.07

にゃんた

3 件のコメント

  • ペク・ヒナさんの新作「あめ玉」(韓国語版)を購入したいのですが、どのようにするといいのでしょう。
    私は、札幌在住です。

  • こんにちは、お世話になっております。
    以前韓国の本を注文した東京の平野です。
    お久しぶりです。

    今回は韓国の本ではないのですがハンガリーの本です。
    ADVENTと言う本ですが、写真を送りたいのですがこのページに写真の貼り付け方がわからなくて…。
    この本ですが、取り寄せ購入は出来ますか?
    お尋ねしてすいません。
    一度下記にメール下さると助かります。
    以前のメールに送ったらエラーになりました。
    よろしくお願いします。
    平野

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